(社)日本水環境学会関東支部

関東支部幹事リレーエッセイ

第49回

「南国温泉地の水環境」

群馬大学 窪田恵一

 大学進学を期に関東へと進出し、今は群馬県に居を構えておりますがそれまでは鹿児島県霧島市にずっと住んでいました。いつの間にやら故郷を離れ10年以上経ってしまいましたが、リレーエッセイのネタとしてはちょうど良いだろうということで、故郷霧島市について水環境を中心に少し紹介したいと思います。霧島市は鹿児島県本土の中央、桜島の北側に位置する都市です。平成の大合併で非常に大きな市となってしまいましたが、その中でも隼人町というところが私の生まれ故郷です。霧島市は、天降川という川が市を縦断するように流れており、それに沿っていくつか温泉地が点在しています。その温泉地はそこそこ歴史があり、西郷隆盛が頻繁に湯治に訪れたり、坂本龍馬の新婚旅行に訪れたりしています。私が住んでいたところも温泉地であり、川底を少し掘ると温泉が湧き出ている場所が近所にありかなり身近に温泉がありました。また、幼少の頃皮膚炎にかかった時は、母親に連れられ近所の温泉へ湯治に行った思い出があります。また、温泉地で温泉も一部用水路に放流されることもあるため、用水路の水温が高く熱帯魚のグッピーなどが生息していると小学生の頃耳にしたことがあります。実際に生息している見たことはないのですが、温泉地ならではの話題だと思います。(写真: 天降川上流の写真)
 さて、もう一つ霧島市の水に関する特徴として、水道水の水源に湧水を使用していることです。霧島市の資料では、水道水源箇所の約半分が湧水となっており、残りのほとんどは深井戸となっています。水質も非常に良好なようであり、塩素消毒のみで提供されています。この周辺の地域は温泉も含めて水資源が豊富であり、霧島市の隣接する町の一つが湧水町と名付けられていることかもわかると思います。湧水を使ったそうめん流しが有名です。とりとめのない内容となってしまいましたが、改めて文章におこしてみると、実に良い水環境に囲まれていたのだなとつくづく思います。


第48回

「レンズの向こうの小宇宙」

千葉県環境研究センター 飯村 晃

今月(2017年7月)は私にとっては例年にも増して「赤潮」のひと月だった。前月半ばから断続的に青潮が出ていたと思ったら、いきなり東京湾が真っ赤に染まったのだ。
思えば、前任者の突然の異動で東京湾のプランクトンを顕微鏡で観なければならなくなったのは10数年前。生物は全くの素人だから、もう目の前は真っ暗だった。頼りは研究室の大先輩が残していってくれた「写真集」のみ。顕微鏡下に見えたプランクトンの姿と写真集の写真を見較べて「似ている」、「似ていない」、「似てるけど違う?」の繰り返しだった。でもそのうち、「あの辺にあったのでは?」と写真集のページが思い浮かぶようになってきたのには驚いた。ページを繰っているうちに関係ないプランクトン種の姿まで憶えていたらしい。
東京湾には、おおよそ月2回のペースで出ているが、そのたびいろいろなプランクトンに出会える。どうやって進んでいるのかわからないが、優雅に泳ぐ珪藻。宇宙船のような渦鞭毛藻。瞬間移動するのは動物プランクトンのメソディニウムか。単細胞生物ってスゴイ。レンズの向こうの小宇宙に見とれて時の経つのを忘れてしまう。
冒頭の赤潮はプロロケントルム・ミカンス。東京湾の水からはしょっちゅう見つかる種だが、こんなに高密度なのは見たことがない。ここまでくると厄介者以外の何者でもないが、本来植物プランクトンというのは「基礎生産者」として海の生態系を支え、二酸化炭素を固定して深海へ運ぶ者として地球環境を支えている存在だ。これからも地球を支えつつ、私たちに少しだけ「宇宙」を見せてくれる存在でいてほしいものだ。

 昨年度より幹事になりました千葉県の飯村です。リレーエッセイは初めてで、場違いなことを書いてしまったかもしれませんがお許しください。今後ともよろしくお願いします。

 


第47回

「水草のある風景」

東京都環境科学研究所 石井裕一

 日ごろの行いが良いからか、とある研究資金を獲得することができ、陸水域の水生植物、いわゆる「水草」に関する仕事を始めることになりました。 当研究所では1992年から96年にかけて、都内の約70の河川・用水路等を対象に水草の生育状況調査をしておりましたが、事業はそこで終了。実に20年ぶりの調査の再開になります。 普段私は沿岸域の干潟や河川河口などの汽水域をフィールドとした仕事に勤しんでおりますが、妻が近所の博物館で水草に関する仕事をしていることもあり、門外漢ながら前々から興味だけは持っていました。 とは言うものの、そこはやはり素人。20年前の調査報告書を開いてみても、「セキショウモ」「ホソバミズヒキモ」「アイノコイトモ」・・・。 末尾の「モ」が「藻」であろうこと以外はランダムなカタカナの羅列にしか見えません。幸い当時の調査を担当された先輩研究員がまだ在籍しており、研究応募の段階から全面的にご協力いただきながら、なんとか調査をスタートさせました。
 水草の調査はなかなか楽しいものです。一般的な方法かどうかは判りませんが、水辺にアプローチできる場所では胴長を履いて間近で観察。護岸が高く川に降りられない場所では上から双眼鏡で水中や水辺の「緑」を覗き、名前を言い当てるクイズのような感じです。同行いただいた先輩研究員の指導を受けつつ、回を重ねるごとに私の目も肥えてくると、クイズの正解率もさることながら、「ホザキノフサモ=穂咲房藻」「サジオモダカ=匙面高」「ナガエミクリ=長柄実栗」などカタカナから漢字や植物の形を自然とイメージできるようになってきました。今回の調査結果を20年前と比較してみると、レッドリスト掲載種が数多く消失していること、緊急対策外来種とされている種が分布を拡大していることなど、事前に予想されたとおりの結果となっていました。 水草が生育するきれいな水辺のある公園では、小さな赤ちゃんを連れた家族が、目の前のせせらぎを見ながらお弁当を食べています。小魚でもいるのでしょうか。真っ黒に日焼けした子供たちが、網を持ってバシャバシャと小川の中を歩いています。何気ない日常の風景ですが、何となく心を癒され、調査を終えました。
 調査結果の整理も一段落した頃、出張明けに研究所に出勤すると、私の机の上に1枚のDVDが置いてありました。手に取ってみると手書きの文字で「水草のある風景」。早速中を確認すると、20年ほど前のテレビ番組の録画のようで、今回の水草調査にご協力いただいた先輩研究員の若かりし頃の姿がありました。都内の水域を水草の解説をしながら巡る番組のようです。途中、水辺を散歩する家族連れや、網で魚取りをする子供たちが映し出され、聴き手役のリポーターが「こういう風景、あまり見かけなくなりましたねぇ。」と、しみじみと伝えていました。 それから20年経った今、当時と同じような風景を都内でもまだ見ることができます。ゆっくりと時間が流れる「水草のある風景」が、20年先、さらにその先まで残り続けることを願っています。


第46回

「“浄化槽”との出会いから20年・・・ 」

東洋大学 理工学部 都市環境デザイン学科 山崎 宏史

 持ち回りで書いているこのリレーエッセイ、何を書こうかと、過去のリレーエッセイをあらためて読み返すと、他の幹事は、小さい頃に水辺で遊んだ体験や日常生活の中での?に気づく能力を持っているのだなぁと、つくづく感心してしまった。私はと言えば、小さい頃に水辺で遊んだ記憶もあまりなく、また、昨今指摘されている大学を卒業するまでに、自分のやりたいこと、自分に適したこと、を見つけられなかった学生であったと思う。就職に関しても、業界や会社の下調べも十分せずに、いくつかの会社の入社試験を受けてしまった。時代が変わり、インターネットが普及しているとはいえ、よほど、今の大学生の方が、入社試験を受ける会社のことをよく調べていると思っている。
 さて、そんなこんなで選んだ会社が浄化槽メーカーであった。しかし、そもそも“浄化槽”とは何なのか?具体的なイメージが出来始めたのは会社説明会の頃で、実家に浄化槽(単独処理浄化槽)が埋まっていることさえ、当時は知らなかった。しかし、この“浄化槽”との出会いが、私の人生を変えるものとなった。実際、“浄化槽”の開発に携わってみると、実に面白い。思った通りにならないのである。その失敗を謙虚に受け止め(上司に怒られつつ)、なぜ、思った通りにならなかったのか?を考え、さらに、上司や同僚からのアドバイスも聞き、次の開発に繋げる。この様な作業を繰り返しながら、なんとか製品化できた時の喜びは格別である。しかし、その喜びもつかの間、今度はその製品が、毎日、数多く工場から出荷されていくのを見ていると、それらの製品が、実現場に設置された後、ちゃんと機能しているか不安になってくる。そんな思いも抱えながら、また、次の“浄化槽”開発をスタートさせるのである。
 それから約20年、立場も浄化槽メーカー職員から、第三者性能評価試験機関を経て、現在、大学の教員へと変わった。業務内容は、その都度変わったが、これまでと同様、現在も“浄化槽”と付き合っている。
私は、現場の最前線で働いている人達の話を聞くのが好きだ。下水道の終末処理場を管理している方に話しを聞くと、「処理水質が悪化してきた時に、どういう運転をすると改善できるのかを考えることに楽しみを感じる」と言う。浄化槽の法定検査を実施している方に話しを聞くと、「ライフワークは維持管理技術の開発です」と答えが返ってくる。この様な方々と話をすることは、私の新たなモチベーションとなっている。浄化槽の維持管理を何十年としている“おっちゃん(親しみを込めて・・)”に話しを聞くと、「浄化槽のマンホールを開けて、匂いを嗅ぎ、水を見て、汚泥の状態を見ると、その家の人の生活習慣がわかる」という。真偽の程は定かではないが、経験に勝るものはなく、おそらく正しいのであろう。それらを数値化し、解析し、根拠を持って示すことは、我々、研究者の仕事である。この様な話を聞くと“浄化槽”は、まだまだ、奥が深い!と思わせられる。
 大学生が、進路を決める際に、自分の得意分野を理解し、それらを元に選択することは非常に重要なことである。しかし、興味に勝るものはないと思っている。途中からでも、水環境に興味を持ってくれたら、その門を叩いてみてはどうだろうか?実に面白い分野だと心から思っている。

 


第45回

「環境との出会い 」

埼玉県西部環境管理事務所 莊埜 純佑

 私は、埼玉県のみどり豊かな山とたくさんの水辺に囲まれた環境の中で育ちました。小学生の頃は、夏休みともなれば日が暮れるまでセミ採りに熱中しそのまま夜はカブトムシを採りに出かけたり、近所の沼に行ってはザリガニ釣りやドジョウつかみに夢中になったりと自然を大いに満喫していました。
 そんな自然豊かな環境の中で育った私ですが、中学生の時に「総合的な学習の時間」で学校のそばを流れる川の水質を地域の方々と一緒に調査しました。調査は、試薬の入ったチューブの中に水を吸い込ませ水の色の変化で汚れ度合を調べるというものでした。川の水は上流域ということもあり汚れてはいませんでしたが、一緒に調べた台所排水はすごく汚れていました。そんなことは頭では分かっていましたが、水の汚れ度合を色で判断するということが面白いと思ったことを覚えています。この体験が、これまで漠然と接していた「環境」を、測ったり改善したりするという具体的な興味の対象として意識するようになるきっかけとなりました。
 それから、高校では化学に興味を持ち、大学で環境科学を学んだ後、現在は埼玉県の職員として環境部で働いています。
 県の職員になるにあたって分かったことですが、埼玉県は海なし県でも実は県土面積に占める河川の割合が3.9%で日本一、さらに鴻巣市と吉見町の境を流れる荒川の川幅が2,537mとこちらも日本一でした。ただ、水辺環境に恵まれた埼玉県ですが、県内には国土交通省が発表している一級河川の水質測定結果ワースト5常連の綾瀬川や中川も流れているのです。
 このような特徴と課題を抱える中で、県では川の再生に取り組んでいます。この取組みでは、土木工事によるハード面での親水空間の創出なども行っていますが、地域住民との連携・協働に重点を置いています。計画段階から地域住民の方々の意見を取り入れ地域の実情にあった川づくりを進めるとともに、地域住民と一丸となった生活排水対策も行っています。私はこの取組みにおいて、ソフト面での支援という形で川の再生活動をされている方々と直接接することができました。活動されている皆さんは、川への愛情に溢れ、より良い川にしようと一生懸命活動されており、そのやる気と行動力には圧倒されました。おそらく、川をきれいにしようと頑張っている方々の熱意も埼玉県が日本一だと思います。
 きっと、小学生だった私に水質調査を教えてくれた地域の方々も、熱意を持って接してくれたのだと思います。その結果、今では逆に私が学校の授業などで子供たちに環境の大切さを伝える立場になってきました。もしかしたら、私の話を聞いて私と同じように環境に興味を持ってくれる子供が出てきてくれるかもしれません。将来、そんな子供たちが大きくなって、より良い環境づくりのために机を並べて一緒に仕事ができる日がきたらいいなあと思います。


第44回

「水辺の散歩道 」

群馬県衛生環境研究所 町田 仁

 こんにちは。群馬県の幹事の町田です。バックナンバーを見ますと、前任者がメタボ対策で渓流釣りをしていることを書いていましたが、私も前回の健診で引っかかってしまいました。それで体質改善のため私が選んだのは、一番手軽なウォーキング。幸い地元の前橋市は地方都市のため、ウォーキングする環境には恵まれています(写真上:利根川自転車道 右の水路は天狗岩用水)(写真中:広瀬川遊歩道 右の建物は郷土の詩人萩原朔太郎の記念品などを展示している前橋文学館)。こんな気持ちのいい場所を、音楽プレーヤーで好きなディズニーの曲を聴きながら歩いていると、1~2時間はあっという間に過ぎてしまいます。ただ、休日に歩くだけでは全く体重に変化がないので、平日の昼休みに歩いたり、できる限り通勤も徒歩にしてみました。職場は前橋市街地から赤城山方面にむかったところにあり、やはり自然に恵まれています。昼休みだけだと、せいぜい30分で2.5kmくらいが限度ですが、すぐそばにサイクリングコースがありますので、それなりに気持ちのいい散歩が楽しめます(写真下:桃の木川サイクリングコース)。半年くらい経ちましたが、ようやく効果が出てきたところなので、今年の健康診断に間に合うかは微妙なところですが・・・。しかし、こういった遊歩道などを歩くのと公道を歩くのは、かなり気分が違います。遊歩道はクルマが通らないのと、信号がないのもあるかと思いますが、やはり水辺の景観がいいんじゃないかと思います。みなさんも、地元の「水辺の散歩道」でウォーキングはいかがでしょうか。きっと楽しいと思います。


第43回

「ミラノ万博と日本酒」

東京都健康安全研究センター 猪又明子

 今年の夏休みに、大学生の息子と二人でミラノに一週間旅行した。「なぜミラノにそんなに長く?」と思われるだろうが、2年前のイタリア旅行の際、行きの飛行機が1日遅れ、ミラノに夜中着、翌日早朝の列車で移動したため、何も見られなかったという、いわばそのリベンジである。
ミラノにはACミランとインテルの2チームが拠点を置くサンシーロスタジアム(正式にはスタジオ・ジュゼッペ・メアッツァ)があり、サッカーファンの息子と私にとって、ぜひとも訪れたい場所であった。また、旅行の時期にミラノ万博が開催されていたので、今まで一度も万博に行ったことのない私達親子は、「せっかくだから行ってみよう。」ということになった。
日本ではあまり知られていないミラノ万博であるが、そのテーマは「Feeding the Planet, Energy for Life」(地球に食料を、生命にエネルギーを)であり、食と農業がメインである。我が日本館は、参加148団体中最も人気のあるパビリオンの一つと聞いていた通り、私達が行ったときは、夕方の人が帰り始める時間帯だったにもかかわらず長蛇の列で、2時間待ちの最終組であった。
日本館のテーマは「Harmonious Diversity-共存する多様性‐」で、日本食や日本食文化の多様性が、食糧問題などの地球規模の課題解決に貢献できるというメッセージを発信していた。地球規模の課題には、もちろん水不足問題が入っており、新しい食材候補としてユーグレナが挙げられているなど、私のような水関係者にとっても興味深い内容であった。
日本館のパビリオン外壁は木組みになっており、非常に目を惹く造りである。その入口には、日本酒の樽でできたオブジェ(?)があり、夜にはライトアップされて美しかった。この前で記念写真を撮る人がとても多く、私も撮ったが、果たしてこれが日本酒の樽だとわかる人は、どれだけいるだろうか?近くに説明等は見当たらなかった。ちなみに、この樽には都道府県の花(写真は神奈川県のヤマユリ)が、都道府県名と共に描かれていた。
日本酒好きの私にとって、日本館の入口に酒樽が堂々と並べられているのは、非常に嬉しかった。和食がユネスコ無形文化遺産に登録された影響なのか、2年前のローマやフィレンツェでは全く見なかった日本料理店が、今回のミラノではよく見かけた。日本館のイベントで、日本酒をふるまう様子をテレビで観たが、かなり好評のようであった。
和食に合う酒は、何といっても日本酒である。和食ブームに引き続き、日本酒ブームも来るのではないかと思う。特に、吟醸や大吟醸といった香りが華やかでフルーティな日本酒は、海外でも受け入れられるだろう。日本でも、最近は若い人たちが日本酒のおいしさに気付き始めたようである。
先日、地元の酒屋さんが主催する日本酒試飲会に初めて参加した。全国から20蔵が集まり、各蔵から5,6銘柄の日本酒が提供された。3時間で全ては試飲できなかったが、半分程度は味わえたと思う。そこで驚いたのは、参加者の多くが意外にも若者(20~30代)で、女性も少なからず(2~3割)いたことである。20数年前に連れられて行った日本酒品評会には年配の男性しかいなかったので、今回もそうだろうと思っていたのだが、予想とは全く違っていた。最近は若者や女性にも日本酒愛好者が増えてきたようで、とても嬉しい。
ご存知のように、日本酒造りには水が重要である。良い酒蔵には、良い水が湧いている。酒造米の生育にも水は欠かせない。美味しい日本酒を造るには、水源の保全が必要であり、既に大手飲料メーカー等では水源保全に取り組んでいる。国内はもとより、海外でも日本酒が飲まれるようになれば、酒造りのための地下水保全や水田耕作が進むのではないだろうか。「日本酒造りは多様で持続可能な未来を切り開く。」なんて、日本館のメッセージに入れたらいいのになあ。


第42回

「水路の小宇宙 」

山梨県衛生環境研究所 堀内雅人

自宅前に、池からの放流水が流下する水路がある。長さ約3m、幅30cmほどの小さな水路だ。コンクリートのU字管だが底に小石と砂泥が堆積していて、カワニナ、サワガニ、シジミなどの生き物が生息している。時々、この水路の様子を覗いてみることが、私の小さな楽しみとなっている。サワガニの濡れた甲羅が日の光を受けて輝く様は何ともいえずきれいなものである。いくつものシジミが「豚の鼻」のような吸出水管を出してもぐっている様はユーモラスである。また、カワニナの稚貝にはコモチカワツボとの比較写真に一役買ってもらった。以前はこの水路に蛍の幼虫も多く生息していて、時期になると水路脇の草からたくさんの蛍が飛び立つ様子が見られたこともあった。残念なことにU字管化されてから、そこから蛍が飛び立つ光景はほとんど見られなくなってしまった。蛍の幼虫が食べるカワニナは今でも多数生息しているので、羽化できる環境を整えれば再びあの光景を見ることができるかもしれない(これは蛍を愛でるヒトの都合で、食べられるカワニナから見れば余計なお世話になるだろうが・・・・・)。
今日もこの水路では生き物たちが暮らしている。今後、様々な環境変化に見舞われるかもしれないが、この「小宇宙」が営みを続けていけることを願っている。


第41回

「霞ヶ浦との再会」

茨城県霞ヶ浦環境科学センター 菅谷 和寿

私は,茨城県霞ケ浦環境科学センター湖沼環境研究室に勤務し,主に霞ヶ浦の水質改善に関する業務に携わっています。これまでの業務は,主に化学物質を対象としてきたこともあり,右往左往する日々が続いています。

 ところで,私と霞ヶ浦(西浦,北浦及び外浪逆浦で構成されます。)との付き合いは,四十数年前に遡ります。実家が北浦の湖岸沿いのため,子供のころから水遊びや魚釣りで頻繁に北浦に足を運ぶことが多く,コイ,フナ,エビ等の水産物あるいはそれらの加工品を食べて育ちました。
当時は,コンクリートの護岸堤もなく,砂地の湖底を足で探るとイシガイやドブガイを採ることができました。イシガイは,5 cm程度の大きさで,子供でも握りやすいため,水切りの石の代わりとして投げていました。
その後,コンクリート護岸堤が整備されると,アオコが大発生するようになりましたが,北浦から足が遠ざかることはなく,アオコの鮮やかな緑色の水面に体を沈め,涼んでいました。アオコを形成する藍藻類が有毒物質を産生することが知られるようになった今では,そのようなことをする人はいないと思いますが…,当時は,カッパ出現!などと言って,友達とふざけていました。
この頃から釣りをするようになり,季節に応じた釣りを楽しむようになりました。春は冬の間,湖底でじっとしていた魚が動き出すため良く釣れます。夏は日の出とともに北浦へ出かけ,夕方まで糸を垂らします。この時大事なのは,水温の上昇とともに魚が移動するので,適切にタナ(魚がいるであろう水深)を取ることです。秋は色々な魚が釣れるのでいわゆる五目釣りが楽しめます。冬は寒さに負けなければ,ワカサギやタナゴの数釣りが楽しめます。

 一方,西浦ではいつしかアオコも発生しなくなり,人々から「アオコも住めないほど汚れた湖!」と言われてしまうような状況になっていました。その後の調査研究で判明したことですが,この時期の西浦では,湖水が白く濁る現象(白濁現象と呼ばれている)が発生し,十分な光が水中に届かないようになっていました。光が大好きなミクロキスティス類にとっては,本当に住めない環境が形成されていたのです。なお,この白濁現象の発生機構は諸説あり明確にはなっていません。
 現在の霞ヶ浦は,白濁現象も収束し,大規模なアオコの発生もなく,大局的に見れば改善傾向にあると考えられます。

 霞ヶ浦と再会したこともあり,最近は週末に湖岸を散歩しています。気掛かりなのは,水質よりもゴミの多さです。プラスチック容器,びん,釣り糸,流木,あらゆるものが岸辺や護岸堤に散在しています。「人は見た目が9割」,という本が話題になったように,霞ヶ浦も見た目が大事ではないかと思います。見えるところから改善していけば,いずれ霞ヶ浦も全国1位のきれいな水質の湖になれるのでは…と思っています。
目指せ!「泳げる霞ヶ浦,遊べる河川」※          ※霞ヶ浦の長期ビジョン



第40回

「水環境への思い 」

栃木県保健環境センター 田村 博

数年前、妻とイングランドを旅行した際、ケズウィックのダーウェントウォーターという湖を歩いて一周しました。この湖は、湖面積5.2km2、湖岸延長15.4kmあるちょっとした大きさであり(当時はそんなこと知りませんでしたが)、その周囲の小高い山を踏破しながら一日で一周したとは自分でも驚きですが、とにかく美しい湖だったので苦にならなかったのだと思います。湖では、泳いだり、カヤックで楽しんだり、人々が水に親しむ姿が多く見られました。

私が小さい頃は、私の住む町の周辺でも、「昨日、川で泳いだんだ。」という友人もいましたが、残念ながら、今ではあまり淡水で泳いだという話を耳にしません。私は、県庁に入庁してから水環境保全行政に従事する機会を多くいただき、数えてみますと、事務職、研究職、合わせて17年3か月になりますが、いつも「私たちがすむ周囲の川や湖が、誰もが泳ぎたくなるくらい美しかったらいいな」と思い、仕事をしています。

 つい先日、そんな思いを少しでも子供たちに伝えることのできる機会を得ました。近所の小学生100名程が当センターを訪れ、環境保全全般の話を聴講し、また、木が温室効果ガスの二酸化炭素を吸収する量を調べる方法を学びました。皆さん、目を輝かせて話を聞き、体験しており、明るい未来を感じましたし、環境学習の第2弾として水環境を守ることについてもっと学びたいという子供たちがたくさんおり、大変うれしく思いました。

私は、今後とも、「どの川へ行っても、どの湖に行っても泳ぎたくなる、そんな世の中にしたい。」そんな思いを胸に、仕事をしていきたいと思います。


第39回

地環研に勤めて36年-私の水環境研究-

千葉県環境研究センター 藤村葉子

私は千葉県環境研究センターに(水質保全研究所という名前の時も含め)36年間勤め、恵まれた職場生活を送りました。何を書いてもよいエッセイということで、36年間をかいつまんで振り返ってみました。

○最初は公共用水域の水質測定
 昭和54年に千葉県水質保全研究所に入り、公共用水域の水質測定ということで、河川に出向いて水を汲んで、6人で当時の全項目を分析して、報告するという仕事をしました。新人は全ての項目を一度は測定させてもらえ、とても勉強になりました。

○負荷量解析を始めた頃
昭和55年頃から「河川診断」という名前で、手賀沼に流入する当時はどぶ川のようであった大堀川の調査と汚濁負荷解析を行いました。原単位なども使って診断すると、汚濁のほとんどが生活排水であることがわかりました。

○降雨時を含めた流入負荷量調査
 原単位を使った汚濁負荷量のうち、どれほどが実際に手賀沼、印旛沼に流入しているか、降雨時を含めた実測調査とL-Q式を利用した簡単なモデルで河川の総流入負荷量を算定しました。T-N以外は驚くほど原単位計算値と一致しました。河川が短いため、自浄作用はほとんど効かないことがわかりました。T-Nは降雨時を含めた実測 調査の方がかなり高く、原単位に問題があることが推察されました。

○水をきれいにする方法を知りたい
 河川や湖沼の汚濁の程度や原因はわかったけれど、どうしたらきれいにできるのか、とにかく排水処理の方法を知りたくて、公共用水域の研究室から排水関係の研究室に異動希望を出して、移る事ができました。初めて活性汚泥を見たのはコーンスターチ製造工場でした。当時の中島淳先輩(元水環境学会会長)に事細かに指導していただき、排水処理がおもしろくなりました。

○生活排水処理と浄化槽
 昭和64年頃「河川診断」を行った大堀川が生活排水で汚濁していたため、生活排水処理が重要だと思いました。長大な管渠を必要とする下水道よりもオンサイトで生活排水が処理できる浄化槽に興味を持ちました。当時はなかなか浄化槽の調査ができるつてがなく、千葉市や佐倉市に頼み込んで協力していただきました。合併処理浄化槽、単独処理浄化槽、10人槽から、500人槽まで、調査できるチャンスがあれば、片っ端から調査しました。

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円形吹き出し: 雲のお母さんいってきます

○浄化槽も進化する
 ちょうど、高度処理型浄化槽というものが、普及し始めてきました。千葉県の湖沼水質保全計画の中で、対策として、単独浄化槽を合併処理浄化槽に変更したら、また、高度処理浄化槽にしたら、どれほど汚濁負荷が削減できるかを知りたい、と言うことになり、実測した結果から、対策効果を算定することができました。
○何故か汚水が好き
 一方、事業場排水が基準超過した、といっては、行政担当者と一緒に原因調査に行きました。BODが排水基準を超過する原因のほとんどは、「儲けすぎ」です。とうふ工場や弁当工場の経営者は、最初に排水処理施設を作るのだけれども、その後、油揚工場を増設したり、弁当を増産して、儲けようとするのですが、排水処理施設は昔のままなので、当然流入負荷量がオーバーします。曝気槽の増設や処理施設の新設をアドバイスすると大変いやがります。
特に排水基準違反がなくとも、豚舎やし尿処理施設へは、チャンスがあれば、張り切って調査に行き、原水を汲んできては分析したがるので、臭いなどで他の研究員には大分迷惑をかけました。(中でも油汚濁とし尿でパンクしたコンビニ浄化槽の原水はすごかったです。)
○放射性物質が降ってきた
 平成17年に公共用水の研究室と排水関係の研究室が合体して一つの研究室になりました。当然、研究員の削減も行われ、一時の半分の人数となってしまいました。原子力発電所の事故で千葉県に放射性物質が降り、(津波でも何人も亡くなり、家も沢山倒壊しました。液状化も起こりました。)てんやわんやの中で、河川、湖沼、東京湾の放射性物質調査が始まり、初めてのことで右往左往しながら、行政と協力し合って、水質、底質の放射性物質調査結果を出し(環境研究センター大気関係研究室自前の測定値)、分析委託機関への指導も行い、現在も調査研究を続けています。
○水からごみへ
 水質環境研究室は老齢化が進んでいましたが、やっと次世代の後継者が現れたため、かねてより興味があった廃棄物・化学物質研究室に異動希望し、移る事ができました。水の汚れをきれいにしても、汚泥が残るし、あらゆるものの最後はやはり廃棄物処分場であると思い、環境浄化の究極として見届けてみたい気がしていました。来てみると廃棄物の世界は奥が深く複雑で興味は増すばかりですが、そろそろ職業人生の時間切れとなりました。最終処分場の浸出水のモニタリングは処分場の廃止の条件に関係しており、非常に需要です。また、浸出水処理施設からの放流水はまた、環境に出て行きます。水からごみへ、また、水へと輪廻は続くというところで、ただの「知りたがり」だけであった私の水環境研究生活も終わろうとしています。

コメント

イラスト:千葉県環境研究センター水質環境研究室HP
「しずくちゃんの冒険」 より(原画は藤村が描きました)


第38回

「水辺とくらし2」

神奈川県環境科学センター 三島聡子

 水辺というと、思い浮かぶのは私が育った鎌倉の谷戸と、祖父母の家のある水郷佐原です。水郷佐原については前回に書かせていただいたので、鎌倉の谷戸について、思い出すこと感じることを書きます。
谷戸(やと)とは、丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形で、湧水等による水の確保が容易なため、昔から主に稲作が行われてきました。水田耕作・畑作・山の手入れが行われてきたおかげで、美しい里山景観や自然生態系が守られてきました。メダカ、ドジョウなどの川魚は、田んぼと水路の間を自由に行き来することができ、田んぼに卵を産んで繁殖してきました。
鎌倉の谷戸も、昔はたくさんの小さな川の生き物が暮らしていたようですが、このごろは田んぼと水路が宅地化されてしまい、生き物の楽園は少なくなってしまいましたが、残された場所で大切に保護されているようです。子供の頃、学校帰りや遊んでいるときにわんぱく男子が水辺で遊んでいるのをのぞくと、ザリガニ、ヤゴ、カエル、時にはゲンゴロウなども採っていました。遊びで採った川の生き物や昆虫などを学校の教室で飼って観察していることもあり、見ているだけでも面白かったです。谷戸は子供たちの良い遊び場だったのだと思います。時には、飼っている生き物が死んでしまったりしたこともありましたが、自分たちの手で採った生き物たちとのふれあいを通じて命の大切さも学んでいたような気がします。

http://www.jswe-kanto.com/relay_essay.files/image002.jpg
テキスト ボックス: ニホンアマガエル:  鎌倉の谷戸で撮ったものではないです。(神奈川県環境科学センター 斎藤和久氏撮影)
 現在では、市民活動団体等が谷戸の景観と生態系を保全を目的として、ボランティア活動をしています。小中学校や市民の方々の体験参加も受け入れ、地域全体で谷戸の保全活動をし、その人材育成や、里山の復活再生・農文化伝承を目指しているところもあります。生き物と触れ合うだけでなく、それを育んでいる農業や周辺環境の整備をすることも大切だと思います。谷戸周辺だけでなく、農業を営む方が少なくなっており、なくなりかけている里山を再生していくのは大変だと思います。活動に参加していらっしゃる皆様に感謝しなくてはと思います。また、活動に参加した子供や若者たちが、これからも、谷戸や里山のことに関心を持ってくれたら良いなと思います。

第37回

「水を捨てるための技術 」

独立行政法人国立環境研究所 蛯江美孝

■水はタダでは捨てられない
私たちはいま、21世紀の日本に住み、蛇口を捻れば水が出るという、とても便利で快適な生活を送ることができます。しかし、使うことばかりに目を向けているのではなく、使った後のことを良く考えておく必要があります。
私たちの家から排出される水としては、台所、洗濯場、風呂場、洗面所等から排出される生活雑排水とトイレから排出されるし尿がありますが、これらを併せて生活排水と呼んでいます。1人1日当たりの生活排水の量は200~250L程度で、これが処理されずに放流されると河川や湖沼では水質汚濁が進んでしまいます。特に、湖沼・内湾・内海などの外部との水の交換が少ない水域では、高度経済成長期以来の都市化により自然がもつ本来の自浄能力が低下している事情もあり、生活排水に起因する水質汚濁(富栄養化などの問題)が生じやすい状況にあります。

■排水処理の2つの方向性
このようなことから、使った水は捨てる前にキレイにする必要があります。生活排水を処理する方法としては、主に下水道と浄化槽が挙げられます。下水道は、小中学校などの社会科見学で行ったことがある方も多いのではないでしょうか。そこには大きな排水処理槽があり、広大なエリアから数万、数十万という規模の世帯から出てくる排水を一ヶ所に集めて処理しています。下水道は大規模集中型の排水処理方法です。
一方、このような大規模な下水処理場に対して、浄化槽は個別の建物に設けられる分散型の排水処理施設であり、一戸建ての住宅用の小さなものから、アパート、マンションなどの単位で生活排水を処理するものまで様々な大きさの浄化槽があります。東京などの人口密集地域では汚水を大規模な下水処理場に集めて浄化することが効果的ですが、農山村や新興住宅地などの地域では、下水処理施設まで下水管を張り巡らせるとその距離が長くなり非効率なので、各家庭から出た排水をその場で処理し、きれいな水にして環境へ戻すことができる浄化槽を分散させて整備した方が効率的な場合もあるわけです。
我が国では、大規模集中型の下水道と小規模分散型の浄化槽をうまく組み合わせて生活排水の処理が進められています。

■排水処理の原理
生活排水の処理には、主に微生物を利用した方法が用いられています。通常、最初に夾雑物を沈殿・除去(1次処理)し、その後、水に溶けている汚濁物質を微生物に分解してもらいます(2次処理)。この原理は浄化槽も下水道も同様ですが、規模が小さな浄化槽で効率的な処理を行うためには様々な工夫が必要になります。例を挙げれば、夜中、寝静まった時間には排水は出てきませんし、朝、食器を洗ったり、夕方にお風呂に入ったりすることによって集中的に排水が出てくるわけですから、汚水量の変動に対応して処理効果を維持するためのしくみや構造が重要となります。現在では、効率的な流量調整のしくみや沈殿、酸化分解を促進するための微生物付着担体(プラスチックやセラミックス等)の開発により、ほとんどの有機物は除去することができるようになってきました。

■高度な排水処理
しかしながら、それで問題が解決した訳ではありません。湖沼や内湾などの水質の汚れでの主な汚れの原因となっているのは、実は生活排水に含まれる窒素やリンといった栄養塩類なので、それらも除去する必要があるのです。窒素については、従来の処理方法だけでは除去できないため、好気槽で酸化処理した水の一部を嫌気槽に循環させる硝化・脱窒法が行われます。この方法により、排水中の窒素(主にアンモニア)は微生物によって最終的には窒素ガスにされ、空気中に放出(脱窒)されます。浄化漕の中で、この窒素を除去するプロセスが効果的に行われるよう、内部で循環させる水量を最適に設計することが重要になります。
このような工学的なアプローチの他にも、処理技術の主となる微生物に着目した研究が行なわれています。窒素除去反応は2段階(硝化反応と脱窒反応)の組み合わせから成っていますが、それぞれの反応に寄与する微生物は大きく異なります。特に硝化反応を担う微生物は増殖速度が著しく遅いため、一般に処理効率を決めるのは硝化反応となります。従って、この微生物を如何に多く反応槽内に保持するか、如何に微生物の活性を高く維持するかということが重要になるわけですが、実際にはこれらの微生物は1ミクロン(1/1,000mm)程度の大きさですので、どの種類の微生物が、どこに、どれくらい存在するかを知ることは容易ではありません。そこで、この微生物に特有の遺伝子(DNAやRNA)を目印に、どのような種類の微生物がどの程度存在し、また硝化反応を進める活性を持っているかということを明らかにするための解析手法を確立し、技術開発や維持管理方法を効率化するための研究も行われています。

■排水処理と温室効果ガスの悩ましい関係
水をキレイにしてから捨てることはとても重要ですが、排水処理施設では、微生物の力を引き出すために空気を吹き込んだり、ポンプで水を送ったり、多くのエネルギーが必要となります。当然、電力を使えば二酸化炭素が排出されますし、微生物が排水中の汚濁物質を分解するときにもメタンや一酸化二窒素という温室効果ガスが排出されます。つまり、水をキレイにすればするほど、温室効果ガスが多く排出されてしまうというジレンマがあるわけです。水をキレイにしつつ、できるだけエネルギーを使わない、メタンや一酸化二窒素を出さない処理方法や運転方法の開発研究が重要となってきています。

■途上国への貢献
途上国では、日本のように排水処理施設が整備されておらず、環境汚染が深刻な地域が数多くあります。セプティックタンクと呼ばれる装置で1次処理のみで放流している場合や、セプティックタンクすらないということもあります。そのため、下水道や浄化槽といった日本の技術を応用し、途上国の地域特性に応じた適用方法の検討がなされています。これは国際協力であると同時に、日本の企業の国際展開でもあり、環境省や国土交通省、JICAなどによって、現地でのキャパシティービルディングを含めた様々な事業が進められています。

■おわりに
さて、ここまでお話ししておいてなんですが、水をキレイにする、とはどういうことでしょうか。有機性の汚濁物質(BOD)や富栄養化の原因物質である窒素、リンによる汚濁物質を削減するというのが基本的な考え方ですが、BODや窒素、リンを100%除去した水は、実際の環境においては極めて異質です。RO(逆浸透)膜を通した水は、有機汚濁物質や窒素・リンはもちろん、ナトリウムイオンやカリウムイオンなどのミネラルもほとんど無く、純粋な水(H2O)に限りなく近くなります。確かにキレイかもしれませんが、生物や環境にとって好ましい水とは考えにくいと思います。例えば、窒素やリンはプランクトンにとって栄養素ですので、漁場に純粋な水を流し続ければプランクトンが減り、魚も減ってしまうのでは無いでしょうか。そこに化学合成された窒素やリンをエサとしてまくというのは合理的とは言えません。結局のところ、水も有機物も窒素、リンも地球を循環しているので、地域の状況に応じて適切に物質循環を制御していくことが肝要なのだと思います。


第36回

「水がうまい」

亀海泰子 (株)建設技研インターナショナル

新幹事の亀海(かめがい)です。どうぞよろしくお願いいたします。途上国での仕事をメインでやっており、現地に長く滞在することが多いので、途上国での水事情などについて、飲み物としての視点から少しご紹介したいと思います。
私たちは日本の水をたいへんおいしいと感じますが、やはりこれは慣れによるものが大きいと思います。たとえばミャンマーの中央乾燥地。ここでは主な水源は地下水で、電気伝導度が1,000μS/cmを超えるようなものもある溶存物の多い水です。水需給がひっ迫しており、天水利用も検討されました。でも、飲みなれない、ほとんど味のない水はおいしくないから飲みたくないと言われてしまいます。この地下水、かなり味を感じて、とても飲めないと思うのですが、現地の方はこちらの方を好むようです。
お茶(日本茶)を硬水で入れると上味いとよく言われますが、紅茶は水の硬い地域の方がおいしく感じます。やはり水にあった飲み方が発達しているのではないかと思います。硬度の濃度コンタと、緑茶・半発酵茶・紅茶の分布を調べてみたら面白そうです。
インドの乾燥地に行ったときは、気温45℃湿度20%という過酷な気候でしたが、訪問先では、頻繁に水とお茶が振舞われます。脱水にならないようにという配慮が文化として定着したものなのでしょう。まず差し出される一杯の水は、ありがたいものです。ところでこのような気候の場所では、水をどんどん失うために、通常より大量の水を摂取します。そんな時ふと自分が一つの濾過器にでもなったような気分がすることがあります。そして、もし代謝されにくい物質が飲み水に入っていたら、どんどん私の体内に溜まってしまう、と恐ろしくなることもあります。途上国では水道水でもPOPsや農薬なんか一度たりとも測定したことがない、という場合も結構あるのです。
水道の塩素については、問題視する方も巷間にはいらっしゃいますが、私は、水道の蛇口をひねって塩素臭がすると、おお!頑張ってるな、よしよし、と思わず口に出してしまいます。途上国で給水プロジェクトに関わったことが多くあるのですが、末端で塩素を出すのがどれほど大変なことか。塩素が出ているということは飲めるという意味とほぼ等価なので、嬉しくて小躍りするほどです(嘘です)。安心感とおいしさは別問題ですけれども、おいしいかどうかを考えられるのは、安全であるという前提があってのことではないでしょうか。
以上、徒然なるままに綴ってみました。帰国して、蛇口から水を汲んで飲む幸せをいつもかみしめるわたくしであります。


第35回

水と石油が流れる川

新潟薬科大学 小瀬知洋

新潟市の秋葉区に新津川という川があります。この川は河岸が遊歩道として整備されており、中流には公園も設けられているなど区民に親水域として親しまれています。新津川の中流にある新津第二小学校では例年4年生がこの川をフィールドにして環境の総合教育を行っており、本学もこの活動に協力しています。(写真上:総合学習において、新津川の水質測定を行う児童とそれを指導する本学学生)このように地域の小河川が地域住民の環境レクリエーションの場や環境教育の題材になることは珍しい話では無く、新潟市の秋葉区民にとっては新津川が最も親しみやすい川となっています。

しかしながらこの新津川には市民に親しまれる地域河川とは異なるもう一つの顔があります。新津川は、明治後期から大正時代に国内最大の産油量であった新津油田の跡地に位置し、流域の随所で現在も少量の原油が自噴しています。水環境において原油や石油製品は汚染物質であり、新潟県民にとっては1997年の日本海におけるナホトカ号の重油流出事故が記憶に残ります。環境中に流出し汚染の原因となる石油のうち17%程度は天然の油滲に起因するといわれているように、油田からの原油の滲出は特殊な事例ではありませんが、石油資源をほとんど持たない我が国においては珍しい現象と言えるかもしれません。原油中には多環芳香族炭化水素類等の有害な物質も含まれており、新津川流域において自噴する原油にも高い発がん性で知られるBenzo[a]pyreneが数十μg/gのオーダーで含まれています。このような有害物質の存在が知られるようになった現在では、原油は憂慮すべき水質汚染の原因であり、新潟県では自噴地点を矢板で隔離し、油吸着剤によって除去して水道原水として用いられる信濃川本流への原油の流入を予防しています。(写真下:原油自噴地点における油の除去)その一方で古くから石油に親しみ、江戸時代以前においては桟橋や猪牙舟の防腐・防水剤明治以降の近代においては潤滑油として用いてきた新潟市民にとっては、現在に至っても石油は危険な物では無く、親しみを持つ故郷の川の原風景の一つであり、夏場には油膜の漂う川で水遊びに興じる子供達の姿が見られることもあります。

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第34回

『水辺とくらし』

三島 聡子(神奈川県環境科学センター)


水辺というと、思い浮かぶのは私が育った鎌倉の谷戸と、祖父母の家のある水郷佐原です。鎌倉の谷戸については我が県特集までにとっておいて、千葉県ですが水郷佐原の水辺について、思い出すこと感じることを書きます。

水郷佐原は、舟運を利用して江戸時代から昭和初期にかけて栄え、伊能忠敬旧宅をはじめ歴史的な町並みが残っており、今も営業している商家も多くみられます。また、趣があるので撮影などにも活用されています。

子供の頃に楽しかったのは、そういった景観だけでなく、利根川の土手のあたりに足を伸ばし、ヨモギを摘んで、お餅にいれて草餅を作ったりしたことです。子供の心の中で美味しい草餅が楽しい水辺の印象をより強くしたのだと思います。今では、どのくらい収穫できるかわかりませんが。鯉やうなぎの川魚料理を出す店もいくつもあって、昔から食卓に登場するこの川魚たちが水辺と日常のくらしの結びつきをより一層強くしていたのだと思います。

私の職場にも、昔、サンプルとして天然うなぎやナマズがいた事がありました。可愛いなと思いましたが、同時に、料理して美味しく食べることもできるなあと思って観察していました。釣って泥を吐かしている間の気持ちですね。食べ物って大切だと思います。口に含むと、関連するいろいろなこと、ゆかりの場所の風景とかが目に浮かんだりしますよね。養殖ものを食べても、やっぱり川や海は大事にしなきゃいけないなと思います。

また、鯉といえば、お祭りには、手作りで愛嬌たっぷりの鯉の山車が登場します(夏祭りの地区の山車です。秋祭りの地区の山車も興味深いですよ。)。町内みんなでうろこを一枚一枚編んでつくるのだそうです。お祭りも鯉もより身近になって楽しそうですね。もう、昔と違って、実際に水運を利用したり、天然の川魚をとって食べることも少ないでしょうし。最近の田んぼは、昔と違って水路がコンクリート化され、また、田んぼと水路との間に高低差をつけるところが増え、ナマズ、鯉、鮒などの川魚が、田んぼと水路の間を自由に行き来することができなくなり、田んぼに卵を産むこともできなくなったようです。

水辺とくらしを昔のまま残すのは難しく、観光と結びつけたりもし、うまく残しているのだと想像します。震災の被害を受けて現在修復中のところもあり、努力していらっしゃる地域の皆様に感謝致します。これからも、食卓のお魚さんたちと水辺のことについて、関心を持って行きたいと思います。



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第33回 

『水についての体験』

荷見昭夫(栃木県)

何の仕事をしているかと尋ねられたら水商売と答えていた時期があった。ふざけているのではなく水道関係の仕事をしていたので間違いではない。そのおかげで生活できていると感謝の意をこめて答えていた。そのような訳で水のことについて体験を述べてみたい。
・水臭い
動物は水の臭いを嗅ぎつけると言われているが本当だろうか。そもそも、生物の体は水が大半をしめており水に対する嗅覚は低く検知できないと思う。その後河川や湖沼の藻類を調べていて気が付いた。藻類が産出する成分を識別しているのだろうと。湧水であっても、周辺には藻が生えていることが多い。飲用水の臭気検査でも確認されるのは藻臭が多いようだ。だから動物はなおさらであろう。過去に、あるガスクロマトグラフ装置のメーカーが出口に犬を検出器として使用したパロディの例を記載しているのがあった。その当時は人間でもできるかと考えたが、実例としてあるようだ。その後経験したところでは、藻類のカタシャジクモは強烈なので引き上げただけで近寄り難く本当に水臭い思いをした。また、珪藻はキュウリの臭いを作ると言われ、大雨の後珪藻が繁茂すると天然アユはおいしくなるようだ。一方、臭気検査においてトリクロロアニソールは濃度限界がマイナス10乗以上とごく微量で感知され部屋中がカビ臭汚染されて困ったことがある。
・水色
水色というと緑がかった色かと思っていた。信号の緑と青の違いくらいかと。しかし、山奥の滝壺に水色の水を見た時は感激した。水酸化アルミニウムが多い場合も水色になる例もあった。水の色は振動エネルギーにより説明できている。しかし恋は水色という曲があるが、綺麗で純粋なことなのか、それとも直ぐに汚れてしまうのかは私にとって未だに謎である。そこで環境中の水が汚れないよう環境保全には努力していきたい。
・水に流す
水は何でも溶かす性質があるがマグネシウム塩やカルシウム塩は乾燥により器壁に固着する。これは水に溶けにくいので、蛇口などに付着して見栄えがわるくなる。
時には器具から溶出した銅イオンを吸着して陶製流しが青く着色する。苦情者のかたに丁寧に説明しても紊得いかず、水に流していただけないこともある。ちなみにクエン酸により落ちやすくなる。それにしても水に溶ける塩と溶けない塩があることについては上思議だと思う。コップや皿を丁寧に拭き取るのは水滴を乾かさないうちに取り去ると解釈している。乾いた後では遅いのではないかということで蒸気洗浄することもある。
・水枕
水を流す際は徐々に水を流しこむが実際の動作ではポンプのON-OFFなどによりウォーターハンマーの現象が起きて吐出することがある。防止方法としては曲率を抑えたり、水管に枕を入れるなどの防止方法がある。実際に事故が起きると水枕が必要になるかも。枕を点検して高枕といきたい。
・湯水のごとく
地域により、とっても大切に使うことを表現するという。白水の原因は亜鉛の溶出でも起きるが空気の泡が原因のことが多い。空気が泡以上になると蛇口で息継ぎのような現象を生じる。これは空気抜きの器具で防止できる。しかし、減圧の場合はそうは問屋がおろさない。温水ボイラーの配管から水を抜く際に、階下において同時に湯水のごとく抜いたので器具が対応できずボイラー缶がつぶれてしまった。おかげで頭から冷水をかけられた様な体験をしてしまった。


第32回

『メタボ対策で始めた渓流釣り』

中島穂泉(群馬県衛生環境研究所)


今年度から幹事になりました群馬県衛生環境研究所の中島です。

県庁に入って20数年になりますが、6回目の人事異動で昨年度から今の職場になりました。
若い頃と変わらないと思ってはいましたが、細かい文字が見にくくなったり、おなかも出てきたり、ドライバーの飛距離も落ちたり、なんとなく「さびしい気分《になっていましたところ、一昨年の健康診断で「メタボ《との判定で、気分に浸っている場合ではありません。確かに過去5年間の結果を見ると、体重は毎年約1~2kg増の右肩あがりの成長をしていました。

メタボと判定されると、生活改善の指導がありまして、その際に今後一年間の努力目標と週間に1度の体重測定結果の報告が課されます。報告方法は、ネットでメタボ患者用に用意されたページに入力するという念の入った仕組みで、もちろんそのためのIDとPASSが必要です。

努力目標は、「体重増加に一定の歯止めをする《というのはダメで、一挙に右肩下がりになるよう、「年間1kg削減《と協議の上ほぼ強制的に決定され、その実現のための行動計画として、現状の歩行距離に加え「1週間で10km以上歩く《ことになりました。

ただ歩くことも性格からして無理そうなので、興味のあった渓流釣りすればメタボ解消と一石二鳥が狙えます。幸いにして職場にはその筋の達人がいましたので、熊に襲われる危険が少なく、適当な距離を歩け、それなりに釣果が望める場所を教えてもらい、私の渓流釣りが始まりました。

群馬県には、多くの渓流があり、漁協も利根・阪東・群馬・吾妻・上州・烏川・両毛・神流川・南甘・上野村など、迷うとこですが、利根漁協と吾妻漁協の鑑札を購入しています。ただ、原発事故による規制強化の関係では吾妻漁協管内での釣りは難しいような状況であったため今年は購入しませんでした。(来年は大丈夫そうです。)

利根漁協管内の主な釣り場は利根川と片品川の本支流です。

渓流沿いに岩場を歩くのは気持ちよく、特に夏場は、水に入れば胴長靴(釣り用語で「ウェーダー《と言います。)を履いていてもその冷たさが良くわかり、また、毎週通っていると季節変化も実感できてなかなか乙なものです。

ただ、問題は釣果ゼロが多いことで、昨年は1年間で6匹でした。鑑札が年間1万円程度ですので、1匹1000円以上する高価なヤマメ・イワナになります。

安全な場所を優先しての釣行ですので仕方ないことでが、来年は釣果アップのため(うまくいけばメタボ対策にもなる)移動距離(歩行)増加を考えています。

また、職業柄、水環境保全のため釣行と同時にゴミ拾いも行っています。大雨で流されたがれき類や農業用と思われる資材や塩ビ管などが目立つ場所もありますが、予想したより釣り人のマナーは良いようで、持ち帰るゴミの量はわずかです。

このような涙ぐましい努力の結果、今年8月の健診では危機的状況を脱してほっとしているところですが油断はできません。渓流シーズンも終わり、11月からはワカサギ釣りが始まりますが、ワカサギ釣りはあまり動かない釣りなので、冬場をどのように乗り切るのかが今後の課題です。


第31回

『スポーツの秋』

豊岡和宏((株)明電舎)

第30回目という記念すべきリレーエッセイなのに、こんなタイトルでよいのかと少しだけ気にしつつ...

気象庁によると、今年9月の平均気温は例年より1.9℃高かったそうだ。9月下旬になってようやく連日の「夏日《から解放されたが、今頃夏バテになっている人もいるようだ。

本稿を書いているのは体育の日。スポーツの秋である。今年の夏は、趣味のジョギングも酷暑の所為にしてかなりサボった。ようやく涼しくなってきたので、今日あたり再開しようか。

昨日、自宅から歩いて行けるゴルフ場でプロの試合が行われ、日曜日の最終ラウンド観戦に行った。やるのも見るのも、スポーツの秋である。ゴルフ場まで続く上り坂はちょっときつかったが、締め切り日が数日後に迫った本稿のネタを考えながら目的地へ向かった。ゴルフ場に入ってすぐのギャラリー受付で、あらかじめ購入していた前売り券を渡し、半券とコース概要、観戦ガイドブックを受け取った。受付を過ぎると左に池があった。閉鎖性水域だし今日は雨も降っているからなぁ、と深緑色の水面を見ながらコースに向かう。

人気と実力を二分するYとR君が最終日に最終組でスタートするとあって、悪天候の中大会発表によると約1万3千人が来場し、会場は彼らの組を取り巻くように大勢の人で賑わっていた。私は、紫色のスリータック・パンツに角刈りの出で立ちで、若き日のJ・Oさんを思い出させるYを応援した。試合はYが初日からトップを守り、2位に3打差をつけて本大会3年ぶり2回目の優勝を果たした。J・Oさんを抜いて、ツアー最年少での10勝目だそうだ。ちなみにR君は6打差の4位タイ。試合終盤は天気も回復し、YとR君が18番ホールに現れた頃には空も晴れ渡った。年齢はYが26才、R君が21歳。オリンピックも然り、スポーツの世界では若手が活躍しているなとつくづく感じた。

試合終了後の表彰式では、Yがチャンピオンズ・スピーチをした。今シーズン初優勝の喜びもそこそこに、Yはギャラリーや大会スタッフ、ボランティアに対してお礼とねぎらいの言葉を述べた。最後はギャラリーに対し、今年の残り試合にも是非足を運んでくださいと男子ゴルフツアーを代表したメッセージも忘れなかった。プロで10勝もしていればスピーチも慣れているのかもしれない。我が身に置き換えてみた。私が30台前半の頃にご指吊を受けた友人の結婚式のスピーチでは、Yみたいに周囲に気を配る余裕はなかった。学会や研究会の発表では、今でも緊張して考えていた事の半分も言えていない。

試合中は禁止されていた写真撮影が表彰式では解禁されたので、最前列に陣取って写メをたくさん撮った。表彰式も終わりYがクラブハウスに引き上げたので、さて帰ろうかなとクラブハウスの前を歩いていたら、これからYのサイン会をするとスタッフからアナウンスがあった。行列が嫌いな私が並ぼうとしたら、あっという間に私の前に約50人が並んだ。こんなにいたらサインがもらえないかなとあきらめかけていると、再びスタッフから、Yは並んだ全員にサインをするとアナウンスがあった。またまた感心した。20分ほど待って、私の前に並んだ年配のご婦人の番。わざわざ愛知県から来られたようだ。サインを貰い感極まったのか、ついさっき云千万円の賞金を獲得したYに夏目さん一枚のおひねりを渡そうとしたが、断られた。いよいよ自分の番、被っていた帽子のつばにサインをしてもらい、おめでとうと伝えてその場を去った。気分は上々だったが、私の後ろにはまだ長い行列。数十人、百人、もしかしたらそれ以上かもしれない。

私は、来場したときに見た池を右手に見ながらゴルフ場を後にした。


第30回

『パラオ共和国の水道事情を勝手に調べてみました』

東京都水道局 及川智

1. リレーエッセイの題材選び
リレーエッセイの原稿執筆依頼を頂いたのが、ちょうど夏休みに入る直前でした。夏休みの旅行としてミクロネシア諸島のパラオ共和国に出かけることとしていましたので、個人的にタイムリーなのかなと思い、この旅行をリレーエッセイの題材にすることにしました。
とはいえ、単に旅行の話だけでは水環境学会のエッセイにはふさわしくないのかなと感じたことから、仕事でもある水道水質について調べることとしました。しかし、テロ対策のため飛行機への液体の持ち込みが厳しく制限されており、グアム経由でパラオに行く行程であることからグアムでアメリカ本国と同様のチェックを受けるため、液体の持ち込みについてはほぼ絶望という状況です。そのため、現地の水を日本に持ち帰って測定することはできないと判断し、現地で水道水の水質を測定することとしました。ただし、出張ではなく旅行ですから、職場の残留塩素計を持っていくこともできませんので、旅行前に東急ハンズに出かけて、共立理化学研究所のパックテスト(遊離残留塩素と全硬度、各5回分)とpH試験紙(BTB: pH6.2~7.8)を買って来ました(合わせて3,559円でした。)。

2. いかにして飛行機にパックテストを持ち込むか
そして、パラオにパックテストとpH試験紙を持っていくのですが、ちょっと頭を悩ませることが…。前述のテロ対策で、荷物は徹底的に検査されます。pH試験紙は英語で説明が書いてあるから良いのですが、パックテストには日本語の説明しかありません。これでは「怪しい薬品を所持している《と思われかねない状況です。そこで、パッキングを工夫して、ジップ付きのビニール袋(100円ショップで購入)に全部を詰め込み、その表面に「TEST KITS FOR DRINKING WATER QUALITY (PH, HARDNESS, RESIDUAL CHLORINE)《と書いたラベルを貼りました(写真参照:帰国後に撮影したためpH試験紙に色が出ています。)。そして、裏側には「水道水質を測る必要がありそうな人間が持ち込んだ《ということが分かるように、自分の英語の吊刺を入れておきました。
そして、検査が厳しい機内持込み手荷物ではなく、預かり荷物の方にこの袋を入れておきました。この対策が良かったのかどうかは分かりませんが、無事に現地までパックテストを持ち込む事ができました。
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3. そして、パラオの水道水を測定してみる
現地での水道水の水質測定ですが、観光の合間に出来る範囲でやりました。採水地点は下記の3地点です(採水地点は最後に添付した地図のとおりです。)。
1) リゾートホテル(アラカベサン島のパラオ・パシフィックリゾート)
2) パラオの人口の7割が集中しているコロール(Koror)市内のレストラン(コロール島。2006年に首都が移転するまではコロールが首都でした。)
3) 2006年に新しく首都となったマルキョク(Melekeok)の議会(バベルダオブ島。首都はあまりにも新しすぎて人口400人と世界で一番人口が少ない首都だそうです。)
本来の給水栓の水質検査であれば、公園などを探して直結給水栓から採水するのですが、観光の途中なのであまり時間がないこともあり、2)と3)についてはとりあえずトイレの給水栓を使いました。通常の給水栓での採水ではじゃんじゃん流してから採水しますが、パラオは南海の孤島で水資源には恵まれていないため、あまり大量の水を使うのは心が痛むことから、1分間程度水道を流してから採水しました。いちおうそれなりに滞留水は排除できていると思います。
結果を下に示します(パックテストの様子は写真の通りです。)。
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1) リゾートホテルは硬度がかなり高いため、地下水を使用しているものと推定されます。リゾートホテルを建築したエンジニア(私の父)に聞いたところ、「水道は水量・水質確保の観点から公共水道とは独立で、雨水をメインに使うシステムだが、雨水が足りないときは地下水を使用する。《とのことです。今回は地下水メインの水質で硬度が高く、実際にシャンプーの泡立ちもあまり良くなかったです。でも、遊離残留塩素はしっかりあり、飲んでも(美味しくはないですが)問題はありませんでした。
2) コロール市内は硬度が低く、表流水を水源としていると推定されます。実際にパラオの水道についてインターネットで調べると、コロール市内の水道システムは、表流水を貯水池に貯留し、急速ろ過方式で粉末活性炭も使用して浄水処理をしているとのことでした。遊離残留塩素もしっかり出ていて、かなりちゃんと処理をしている印象でした。飲んでも安全と思いましたが、トイレの水なので飲用にチャレンジすることはやめておきました。
3) 首都は硬度が極端に低く、遊離残留塩素もないことから、雨水を貯留してそれをそのまま水道に使用しているものと推定されました。パラオのような孤島の場合、簡単に手に入る安全な水は雨水であり、これを貯留して水道にするのはわかりやすい判断だと思います。特にこの首都マルキョクは周りに人も住んでいない(海の孤島の中の)陸の孤島なので、公共水道もないために雨水を使うシステムを選択しているのだと思います。遊離残留塩素がないことから飲用にトライはしませんでした。しかし、同じバベルダオブ島のコテージではランチに雨水と思われる水が出たので飲んでみましたが、特に問題はなかったです。

ということで、旅行先で水道水質を測定してみると、現地の水事情をいろいろ知ることができることを実感しました。今後も、小遣いが許す範囲で、かつ、セキュリティ検査に引っかからない範囲で、水道水質を調べていきたいと思いました。

図 今回の採水地点(地図は英語版Wikipediaから引用し、採水地点を筆者が追加)


第29回

『水辺空間づくり』

天野 佳正(千葉大学)

先日,ドライブがてら千葉市花見川区こてはし台にある「こてはし台調整池《に行ってきました。私が大学院博士後期課程に在籍していた学生のころ,この調整池はフェンスで囲まれ,人が立ち入れない管理型調整池でした。しかし平成15年頃から,当時私の指導教授であった立本英機先生(現千葉大学吊誉教授)をはじめ,小学校,自治会,大学および行政によって,こてはし台調整池を多自然型調整池にする取り組みが進められました。当時学生だった私は,現場視察がある際に立本先生にご一緒させて頂き,この調整池がどのように変わっていくのだろうと楽しみにしていたものです。しかし完成を見ることができぬまま大学院を修了し,その後この調整池がどのようになっていったのか全くわかりませんでした。あの現場視察のとき以来この調整池を訪れたことがなかったので,実に5~6年ぶりとなります。

現在,調整池内には遊歩道が設けられ,降雨時を除いて誰でも入れる状態になっています。池内にはビオトープが設けられており,遊歩道を歩くと小さな魚の他にカエル,ザリガニ,アメンボなど,たくさんの生物を見ることができました。最近,このような「水辺の空間《に接する機会が少なかったため,田舎育ちの私にとって非常に心地よさを感じました。

私は山梨県出身で,山,川,田んぼ,畑に囲まれたところで育ちました。小学生の頃は,放課後になると毎日のように川に行き,泳いだり,魚を捕まえたり,あるいは石の裏側に張り付いている生物を捕まえ,それを餌にして魚釣りをしたりして遊んでいました。また夜になれば田んぼの脇を流れている灌漑用水路に行って,ホタルを捕まえたりもしていました。当時,何も考えもせず遊んでいましたが,今思い返せばとても恵まれた環境で育ったのだと改めて感じました。

千葉市に住んで10数年経ちますが,川遊びをしている子供たちを見る機会が少ないことはもちろんのこと,水辺自体が非常に少ないように感じます。千葉市は政令都市に指定されている大都市で,私が育った山梨の地方都市と比較することはできないのかもしれませんが,それでも子供たちが水に接することのできる空間が少ないように思います。こういった意味でこの度訪れたこてはし台調整池は,住宅地の中にある数少ない水辺の空間として貴重な存在と言えます。千葉市にはこてはし台調整池の他にも多数の調整池あるいは都市型用水路などといった,親水機能を持たせることのできる水辺があります。もし将来,こてはし台調整池のような水環境事業に携える機会があれば積極的に参加し,地域に住む人々に潤いと憩いを与える水辺空間づくりに貢献してみたいと思います。


第28回

『生物処理槽をのぞいてみると』

藤島 繁樹(栗田工業株式会社)

私は入社以来、微生物を用いた排水処理装置の研究開発に携わってきました。排水の生物処理は、微生物に排水中の有機物を分解させ増殖した微生物と水を分離することで汚れた水をきれいな水に戻す方法です。微生物による水の浄化は、河川等の自然界でも起こっている現象で、排水の生物処理はこの現象をより効率的、安定的に進めるようにするものです。

ただし、微生物にとっては、自分の住処(生物処理槽)に入ってきた餌(有機物)を分解しているだけなので、多すぎれば食べ残し、体調が悪ければまったく食べません。管理を誤れば、いつの間にか、こちらが望まない微生物に取って代わられ、いろいろな問題を引き起こすこともあります(こちらの都合で良い微生物と悪い微生物とに分けてしまうのは心苦しいですが・・・)。生物処理槽の優占微生物が変わる、または、変わりつつある現象(微生物相の変化)は必ずしも悪いことばかりではありません。微生物相が変わるということは、微生物の住んでいる環境が変わったことを示しています。よって、こちらが望む微生物にとって住みにくい環境とは、生物処理槽を管理する人間にとっても都合が悪い状況、または、そのような状況になりつつあるということを示しています。「入ってくる排水量が多い《、「いつもと違う有機物が入っている《、「酸素の量が足りない《、「毒物が入ってきた《等のさまざまな情報が顕微鏡で微生物相を見ることにより、場合によっては、水質分析の結果にあらわられる前に把握できることもあります。生物処理の代表である活性汚泥の外観は文字通り泥水のようですが、場所、時期ごとに異なる微生物相を持っています。また、生物処理槽には、細菌だけでなく、細菌を餌にする原生動物や後生動物(教科書にのっているミジンコなどの仲間)と呼ばれるより高度な生物も存在しており、顕微鏡で微生物相を見ていると子供の頃の理科の時間を思い出し、つい夢中になり時間を忘れそうになることもあります。

生物処理槽を顕微鏡でのぞいてみると、装置の研究開発や維持管理に重要な情報を与えてくれますが、加えて、普段は目に見えない微生物の姿形を見ることができます。生物処理槽は河川等の自然界に比べると非常に小さな世界ですが、彼らの活躍に感謝しつつ、彼らが住みやすい環境づくりを日々目指しています。


第27回

『水耕栽培で屋上緑化』

鎌田 素之(関東学院大学)

ここ数年、グリーンカーテンが学校をはじめ様々な施設で広く普及してきている。そんな屋上、壁面緑化を土ではなく、水耕で行う取り組みをかれこれ7年程行っており、ようやく学校等でも実用可能になったので少し紹介したいと思います。

事の始まりは今から十数年前に行ったタイでの学会の食事がきっかけです。当時、まだ日本ではあまり見ることになかった空芯菜(エンサイ)の炒め物を食べたところまでさかのぼります。熱帯では栽培が非常に簡単な空芯菜は、くせもなく食べやすいだけでなく水質浄化にも適用できると聞かされた。それから数年後、大学で学生が屋上緑化をやってみたと言うことで始めたのが空芯菜を用いた水耕栽培による屋上緑化の始まりです。

既に屋上緑化としては後発だったため何か新しいコンセプトが必要だと考え、参加型の屋上緑化を提案しました。我々の世代だと小学校の頃は朝顔を一人1鉢椊えていました。これを水耕栽培の空芯菜でと言うものでした。ただし、栽培する水耕栽培の装置も子供達が作成し、育てた野菜を自分達で食べると言うことで「作る、育てる、食べる《参加型の屋上緑化を目指しました。そのためにできるだけローテク、ローコストをめざし、4年前には40m2程のプラントを大学の屋上に作り、400kg近い空芯菜を収穫しました。手法的に確立したのでいよいよ学校へと言うことで、翌年にはNPOと共同で中野区内の中学校に装置を設置しましたが、運営面で様々な問題がありあえなく失敗。ただ、この年出展した環境展やエコプロダクツで様々な縁に恵まれ、昨年はついに横浜市金沢区内2つの公立小学校で屋上緑化と壁面緑化を実施するに至りました。実際に小学校での作業が始まると何度も小学校に伺い、水耕栽培以外にも水質の話や水道の話をする機会にも恵まれました。大学で仕事をしていると高校生の前で話す機会は多いのですが、小学生となるとなかなかありません。理系離れと言われて久しいですが、彼らの熱心に取り組む姿を見るととてもそうは感じられず、むしろ実験をやりたくて仕方がない様子。一体いつから理系から離れていくのでしょうか?緑化はゴーヤを使った壁面緑化が途中で枯れてしまったものの、屋上緑化の空芯菜は順調に育ち、子供達からも先生方からも好評でした。

今年もだんだん暑くなり、そろそろ緑化の準備を始める時期になり、既にいくつかの学校からオファーを頂いています。横浜発の水耕栽培による緑化を広く普及できるように今年もがんばりたいと思います。家庭でも簡単にできますので興味のある方は是非お試し下さい。


第26回

『温泉地と微生物』

畠 俊郎(長野工業高等専門学校)

私は西日本の生まれなのですが,縁あって長野県で生活しています.この冬は長野県北部ではかなりの積雪量が観測されていますが長野市内は普段通りの生活を送っています.私の印象として雪は少なめですが,寒さは例年よりも厳しいように感じています.

冬の長野といえばスノーボードやスキーなどをイメージされる方が多いと思いますが,ウィンタースポーツで冷え切った体を暖める温泉も忘れてはいけないポイントです.
長野県北部(北信地区)ではスキー場の近くに日帰り温泉がある場合が多く,私自身もいろいろな温泉の中から気に入ったものを選んでスキーの後によく利用しています.

温泉の効能は多くの人にとって興味の対象になると思いますが,最近の私の興味は温泉地周辺に生育している微生物の工学的な利用です.
特に,温泉地におけるバイオミネラリゼーションに着目しているところです.
バイオミネラリゼーションとは生物が無機鉱物を作る作用と定義されていますが,長野県内の源泉を巡ってみると析出物を確認することができます.
すべての現象に微生物が関与しているわけではないでしょうが,「人間と一緒で暖かい環境でまったりしながら気が向いたときに無機鉱物を作っているのかな?《と考えながら温泉につかるといつもとは違った気分が楽しめます.
また,温泉地によっては強酸性や強アルカリ性を示すものもあります.この特殊環境で生育することを選んだ微生物たちについても「なんでこんな環境を選んだのかな?《と考えると興味が尽きません.このようなバイオミネラリゼーションや特殊環境で生育可能な微生物たちの機能を豊かな信州の水環境保全に役立てていければと思っています.

温泉につかりながらアイデアを考えるのは楽しい時間なのですが,その後は湯冷めならぬ現実が襲ってきてせっかくのアイデアを実行に移せることがそんなに多くないのが悩みの種です.

昨年は低pH土壌から新しい微生物を単離することができました.単離できたという結果ももちろんうれしいのですが,4月にはじめて微生物操作を学んだ学生さんの成長に驚いているところです.
私の方も学生さんの頑張りに負けないよう,新しい分野の知識を積極的に吸収していかないといけないですね.

これから3月の卒業式までは学生さん・我々教員にとっても厳しい時期となります.社会に出る前に1年間の成果を文章にまとめる作業は学生さんにとって貴重な経験になると信じて,温泉で疲れを癒しつつ最後の追い込みに入ろうと思っています.


第25回

『日本のすべての蛇口からの水は飲める水道水であって欲しい!』

長岡 裕(東京都市大学)

私はサウナとかスパとかが大好きなので、ときどき通勤途中の駅近くのスーパー銭湯に立ち寄って、汗を流してから帰宅することがあります。その日もいつものようにぶらりと立ち寄り、サウナでさっぱりした後、サウナ入り口横に設置してあるウォータークーラーで水分補給をしようとしたところ、ステンレスの水を受けるところが汚れていたのです。ちょっと使いたく無い気分だったので、しばらくは水を我慢していたのですが、ついに耐え切れなくなり、ちょっと嫌な予感がしたものの、洗い場のシャワーを口に向けて噴射し、尋常でないぐらいの量の水をがぶ飲みしてしまいました。それがとんでもない間違えでした。

それから2日ほどたった日、急に腹痛と下痢が私を襲いました。なにか生ものなどの悪いものを食べたのだろうかと、数日間の食事などの記憶をたどっていたのですが、思い当たる節がありません。よくよく考えると怪しいのは、あのスーパー銭湯の洗い場の水ですが、確証はありません。おなかの調子はその後、数日で回復したこともあり、その事件のことはしばらく忘れていました。

数週間後に再び同じスーパー銭湯を訪れ、いつものように浴場に足を踏み入れた瞬間、あっと声を出しそうになりました。洗い場という洗い場の全ての蛇口の上に、真新しい白色のプラスチックのプレートが貼ってあり、赤い活字でこう記されていたのです。「飲用上可」。

やはり犯人は洗い場の水だったのです。風呂屋では地下水を使用することが多いことは良く知られており、ちゃんと消毒されている水道水は限られたところでしか使用されていないはずです。1990年に埼玉県の幼稚園で地下水を飲んだ園児がO-157に集団感染したのも未だ記憶に新しいところです。おそらく、同じスーパー銭湯に行った誰かが蛇口の水を飲んで同じような症状をみせたので、当局の指導もあったかもしれませんが、あわてて風呂屋がプレートを貼ったのでしょう。

みなさんも最近、ホテルの洗面台の蛇口の上に「この蛇口の水はお飲みいただけます《など記されていることに気がつきませんか?もちろん、日本で水道水が飲料可であることは当たり前なので、この表示は一見問題ないように思えるかもしれませんが、実は大変危険な要素を含んでいるのです。このような表示が当たり前になると、このような表示が無い蛇口があった場合に、その水が飲めるか飲めないか判断に困るようになってしまう、ということです。日本では、水道関係者の努力の結果、水道水を飲めるということが当たり前になっているのですが、飲める蛇口と飲めない蛇口があるという事態は大変に困ります。いちいち消毒された水道水が来ている蛇口かどうかを確かめなければならないのです。地下水利用とか、排水の再利用などは推進していただいてもいいのですが、やっと築き上げた水道への信頼を台無しになするようなことがあってはならないと強く主張したいところです。


第24回

『水害の1年を振り返って』

小瀬知洋(新潟薬科大学)

早いもので2011年も半ばを過ぎ、終わりが近づいてきました。今年は3月の東日本大震災の津波に始まり、各地で集中豪雨や台風による水害など水にまつわる天災の多い年となりました。私の住む新潟においても信濃川水系の堤防が決壊し、広い範囲で床上、床下浸水が起こりました。

水は我々が生活を営む上で、飲料水やその他の生活用水として必要上可欠であると同時に、農水産業や工業も水の存在に支えられおり、現在の我々の豊かな生活は水の恵みの上に成り立っていると言っても過言ではありません。

先日、東京国際フォーラムにおいて行われたASPIRE2011においても石原慎太郎都知事が、東京の水道水の質の高さと我が国の浄水技術を強くアピールしておられたように、我が国は日常生活の中で用いうる水の質の高さと豊かさにおいて比類のないものがあります。筆者も学会などで海外にでることがありますが、国によっては飲用できないのはもちろんのこと、洗顔や入浴などにおいても水道水の異臭味を感じることがあり、外国に行くと飲用水は買うものであるということを強く実感します。

今年の様々な水害を振り返ると、我が国の豊かな水は時として荒々しい、力強い自然に支えられているのだということを思わざるを得ません。実際に欧米と比べて我が国の河川の水が飲用水源として適している最大の理由は河川水の滞留時間が短いためであり、それは河川の流れが急峻であることを意味するため水害と背中合わせの水の豊かさであるともいえます。私が自宅から大学に通勤する経路には日本でも有数の流域を有する信濃川があります。信濃川は普段から非常に豊かな水量を有する川ではありますが、河岸は二段の堤防を有し、その間には公園や果樹、水稲などの農地があり、日常生活のなかでそこが「河川《であると認識することは難しいというのが正直なところでした。しかしながら件の水害の起きた日、そこは確かに川であることを主張するように水に満たされており2m程度の高さの果樹がほぼ水没していました。私自身は通勤経路の橋が冠水したため大きく迂回して帰宅することになり、日頃20分程度の通勤時間が2時間になったものの実害はありませんでしたがようやく帰宅してニュースを見た段で堤防が決壊し、死者もでる大水害であったことを知った次第でした。また、震災によって引き起こされた福島第一原発の事故の際には、関東圏の水道水からヨウ素やセシウム等の放射性物質が検出され飲料水の安全性が懸念される事態を生じました。

このように水は我々の生活に欠かせない大切な資源ですが、ひとたび水害や汚染が起こると、人を襲う牙となって直接間接に我々の生活を脅かします。我が国の優れた治水、浄水技術を持ってしても未だこのような事態が防げないこともあるという事例を数多く見ることとなった2011年を振り返って、自然の力を改めて感じると同時に、水の分野に関わる研究者の一人として今年のような事態にも耐えうる新たな技術の発展に努力して以下なめればならないと感じました。



第23回

『水の話はさておきまして・・・ *偶然見かけた野球の試合で*。』

渡邉智秀(群馬大学)

ようやく日中でも涼しく感じるようになり、運動や行楽にはうってつけの季節がやってきました。さて、時折思い出したようにですが(ほんとうはそれではいけないのですが)、ひと時ウォーキングをすることがあります。近くにある総合運動場の周辺を黙々と歩いていると、グラウンドから歓声が聞こえてきました。よく見かける草野球に比べて熱気を感じ、何気なくバックネットにほど近い場所へ移動してみると、マウンドで長身の左腕投手がダイナミックなフォームから繰り出される糸を引くようなきれいな球筋の勢いのある速球でバタバタと三振の山を築いて、観戦している人々を唸らせていました。周囲の方の話から市内中学校の新人戦とのこと。超中学級といってもよさそうな見ごたえのある投球に引かれ、しばしの間その投球に見入っていました。

少し経ってから、試合経過そのものも気になって、ネット横に設置された小さなスコアボードに目を移すと、1対1の同点で終盤の6回です(中学生は7回制)。少し意外な試合展開に、この好投手を擁するチームと互角に競り合うのは?とはじめて対戦相手をよく見てみると、直球にスピードがあるわけではないものの、カーブやスライダーをコンビネーションよく織り交ぜ、テンポのいい投球で凡打に打ち取り、さらに走者が出ても隙を突く見事な牽制球でチャンスの芽を摘む、クレバーなマウンド捌きの投手がマウンドに立っていました。少し小柄な日焼け顔の普通の感じで投手の投球ごとにするちょっとした仕草が少しだけ気になったのですが、攻守交替でベンチに戻り、打席に向かう際に髪を気にしながら帽子やヘルメットをかぶる様子を間近で見て、女子選手であることに気づきました。

この事実に改めて注目してみると、体格も力も差が明確になるであろう男子選手に混じって、しかも、背番号1を背負うエースとして、近い将来、強豪校からいくつも誘いがありそうな本格派の相手投手に引けをとることなく渡り合い、グラウンドでもベンチ内でも何の違和感もなくチームメートとやり取りしている姿に、かつて自身が野球をしていた経験も含めて、「あっぱれ《と完全脱帽しました。そういえば、ずっと昔の子供の頃に女性投手が登場する野球漫画がありましたね。でもあくまでフィクションだと思っていました。後で調べてみると1990年代半ばから「男子に限る《という規約が撤廃されて試合出場が可能となっており、男子に混ざって熱心に野球に取り組む女子生徒が全国にいるそうです。確かに高等学校の女子硬式野球部や女子プロ野球組織も設立されるようになり、体力的に全く遜色のない小学生の学童野球で、女子児童が参加していることは、多くはないが必ずしも珍しくないとのこと。

さてこの試合、1対1で同点のまま迎えた延長10回裏に、この試合を見るきっかけとなった左の好投手が先頭打者に与えた四球とエラーも重なり、劇的なサヨナラゲームとなりました。偶然に見かけた野球の試合でしたが、好きなことに思う存分楽しんでいる様子にうらやましさを感じながら、スリム化しなければと強迫観念に駆られ決して好きでしているとはいえないウォーキングを再開しました。その約30分後、軟式野球場近くをまた通りかかると、つい先ほど延長戦を完投で制した背番号1が勝ち進んで臨んだ次の試合で、三塁手として守備につく姿が遠くに見えました。


第22回

『大地の恵み』

小林浩(山梨県衛生環境研究所)

山梨県内のあるダム湖のほとりの東屋で,心地よく満たされた腹を抱え,湖面を眺めていた。この地にダムができ,すでに20年余りが過ぎた。私はこの場所にたびたび訪れ,時の過ぎるままにボーっと湖面や空を眺めることがある。ダム湖の自然は,季節ごとに様々な表情を見せてくれる。湖面に映る新緑の木々や夏の太陽に照らされてキラキラ輝く水面は心和むひと時を与えてくれる。

私は,この東屋の近くで忘れられない思い出がある。もう,40年以上前,ダムの形など全く無い時のことである。このダムに流れ込む小さな河川での出来事である。この小河川は夏の夕立や台風の大雨以外,ほとんど川の流れを見ることは無い。わずかに流れる小川の石の下に沢蟹を見つける程度であった。私は学校の帰り道,悪友らと「山荒らし《をしていた。「山荒らし《といっても道々見かけるアケビを取り,甘い果肉を吸い取っては黒い種をあたりかまわず飛ばしていた。私は目の前にあるアケビに目が留まった。「いっぱいあるね《。私の頭は豊潤な木の実に支配され,目の前のアケビめがけて手を伸ばし体重を移動させた。次の瞬間,目の前を木々の藪が走り,気がつけば2mほどの土手を滑り落ちた。悪友たちの笑い声と「だいじょうぶかぁ《の声に「いてててぇ《と答えたような気がする。手は収穫したアケビをしっかり握っていた事を,今でも鮮明に覚えている。藪で痛めつけられ,すり傷だらけのひじやすね小僧など気にもせず,アケビの甘みを口の中いっぱいに堪能した記憶は今でも懐かしい。

私がつい足元を気にしてしまうのは,この時についた習性なのかもしれない。仕事上,地下水,湧水,河川水,水道水など「水《と吊のつく試料を扱うことが多い。水は大地と密接に関係し,水の中に多くのメッセージを託していると思う。

ダム湖の建設前後では,河床の様子は一変した。河床の岩石への付着物が増えたのだ。ダム建設以前の河床は,花崗岩の白さと,周辺の山々の絶妙なコントラストが美しかった。ダム建設には常に「環境保護《か,「開発《かが議論の的になる。ダム建設がすべて悪いとは思わない。
「科学《として様々な「自然環境《を見つめるとき,地球の営みの中で,河床の変化はいくたびとなく繰り返されたと思う。河川がせき止められたことで生じた現象は,長い地球環境変化を紐解くヒントを隠していないだろうか。ここで得られた多くの現象と,地球に刻まれた現象を,頭の中で理解できることは何があるのだろうか。

大地の恵みの地下水や湧水にも,地球からのメッセージが込められていると思う。私たちは,住みやすさや便利さを求め,様々な物質を作り利用してきた。それらの物質は,大気,地表,地中をめぐり,私たちの元に帰ってくる。それぞれの過程で,私たちへのメッセージが込められていると思う。今,理解されている現象の一部には,地球が私たちに伝えようとするメッセージとは,異なる理解をしていると思う時がある。

様々な研究テーマは大地の恵みのひとつである。自然環境と人間とのあるべき姿を考えることは言うまでもない。

東屋の近くでガサガサと藪を駆け抜ける「獣《の音で目が覚めた。ふと考えた小難しい宿題は一瞬の夢だろうか?
そう,今この地では「猿害《や「鹿害《が深刻だった。私の「アケビ《は今でも残っているのかな。それとも彼らにすでに食べつくされてしまったのだろうか。遠い昔を懐かしみながら午後の仕事に腰を上げた。


第21回

『それで、彼らはさらに2m深く潜行している』って何?

鈴木充(栃木県保健環境センター)

私が生まれ育った栃木県は、我が国を代表する日光国立公園のほか、豊かな地域特性をもつ8つの県立自然公園や、日光、鬼怒川、那須、塩原をはじめとする温泉地があり、豊かで美しい自然に恵まれています。私事ですが、県外出張の帰りに車窓から見る日光男体山は、自分に「栃木県に帰ってきたんだ。《と実感させてくれる安らぎの風景になっています。いつかは日光の自然にかかわる仕事に従事できたらと思っていました。
私が勤務する栃木県保健環境センターは、この男体山のふもと日光、奥日光の環境調査を昭和46年から継続している部署で、まさに地方環境研究所の面目躍如といったところでしょうか。

「それで、彼らはさらに2m深く潜行しているのですね・・・。《これは、とある研究発表会場で、握手を求められ、私たちに寄せられた意見です。このような感想をもらったのは初めてで、とまどい、一瞬目が点になってしまいました。しかし、詳しく話を聞くに及び、その人にとって大変重要な情報だとわかり、うれしく紊得した次第です。さて私たちの発表はなんだったのでしょうか?
答です。私たちの発表は、湯ノ湖底泥中のユスリカ幼虫の調査結果でした。もうおわかりでしょう。「彼ら《とは湯ノ湖に住むヒメマスで、この感想の主は釣り人です。

発表内容を少し紹介します。平成22年度、私たちは、奥日光にある湯ノ湖の水環境を評価するための調査の一つとして、環境指標生物であるユスリカ幼虫について調査を行いました。ユスリカ幼虫の採集結果、ユスリカ科の一種であるヤマトユスリカの幼虫は水深8m付近に最も多く生息し、同様の調査が行われた1967年、1972年、及び1979年の結果よりも約2mも深い場所に生息していることがわかりました。このユスリカ幼虫の生息場所の変化は、湯ノ湖の環境の変化を物語っており、近年の透明度の上昇など水質の改善が要因の一つと推察される、といった内容です。

釣り人には、「近年ヒメマスが深い場所に移動したのではないか?と思っていた。ヒメマススの餌となるヤマトユスリカの生息場所が深くなったという発表を聞き、それでヒメマスは餌を追いかけ、さらに2m深い場所に潜ったにちがいない。これで自分の疑問が一つ解決した。《と、いたく感激していただいた次第です。
私たちはというと、釣り人の考察の真偽はいずれにせよ、調査結果が身近な生活で具体的に役に立っていることを目の当たりにし、「調査やってよかったなぁ。これで明日からの仕事もがんばれるなぁ《と、釣り人からパワーをもらい妙に感激しながら帰路につきました。

仕事の糧は「人に役立っていることを実感すること。(私見)《ということをあらためて実感した、「それで、彼らはさらに2m深く潜行しているのですね《一件の顛末でございました。


第20回

『ライポンと30数年目の真実』


田畑彰久(いであ株式会社)

東日本大震災におきまして、被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。1 日も早い復旧・復興と、皆さまのご健康を心からお祈り申し上げます。

リレーエッセイを執筆するに際し、どんなことを書こうかさんざん迷いましたが、今回は小学生の頃に生き物と遊んだ思い出話を書いてみることにしました。

私は、東京生まれの東京育ちですが、30数年前の都会には結構自然と触れ合う機会のある場所がありました。小学生の頃は友達と秘密クラブを結成し、近所の裏山や雑木林(これらは○○秘密基地と呼ばれていた)などへ探検と称して、アリ、ダンゴムシ、ハサミムシ、ミミズ、バッタ、トンボ、セミ、蝶、カナブンなどを捕まえに行ってはその行動を観察したり、触ったりして遊び、近所の公園にある大きな池では木の棒に糸を結んで針をつけた特製の釣竿を作りコイやフナを釣って友達と釣果を競い合ったりしていました。また、今考えると呆れるくらい様々な生き物を飼いました。金魚から始まって、オタマジャクシ、ミドリガメ、アメンボ、ザリガニ、カブトムシ、クワガタ、ハムスター、セキセイインコ、手乗り文鳥、ウサギなどです。きっと当時は大した世話もしなく、興味本位で飼育し、親には随分迷惑をかけたのだろうと同じ年頃の子供を持つ親になってつくづく感じています。

さて、いよいよ本題です。このように様々な生き物を捕まえては遊んでいた私ですが、中でもとりわけ大好きだったのが‘ライポン’です。ライポンが何だか皆さんはわかりますか?洗剤ではありませんよ(笑)。ライポンは刺さないハチで、ライポンの木にいると当時の友達に教えてもらいました。ライポンは体長が2cm程度、腹部の末端がオレンジ色で全身が黄色い毛に覆われており、とても可愛らしいので、近所の仲間たちのアイドルでした。たまにライポンを知らない友達に会うと「僕はハチを手の中に入れても大丈夫だよ《と言って得意げになって見せたり、手のひらや指に乗せて肩の方へ登らせたり、胴体に紐をくくりつけて外で空中散歩をさせたり、部屋の中で放し飼いにしたり本当に様々な方法で遊びました。こんなに親しみ深かったのは、もちろん刺さないことが大前提ですが、羽がブルブルと手のひらにあたる感触がとても気持ち良く、その後は手のひらに花粉が付きとてもよいにおいがしたことも一因であったと思います。

先日、思いがけなく20数年振りに何人かの同窓生に会う機会があり、ふとライポンのことを思い出しました。家に帰ってインターネットで調べるとなんとライポンが大田区、品川区、目黒区近辺のみに使われていた愛称(方言)であり、正式な吊称はコマルハナバチの雄であることがわかりました。インターネットに掲載されていた写真はまさに僕たちがライポンと呼んで愛していたあのハチに間違いはなく、なんとなく心の奥底にあった幼い頃の謎が解け、とても嬉しい気持ちになりました。また、‘ライポンの木’はネズミモチの木であることもわかりました(実際にはライポンはネズミモチの花以外の様々な花に集まりますが、たまたま近所にはネズミモチの木が多く、我々はいつもライポンの木でライポンを見つけていたのでライポンの木=ネズミモチの木と勘違いしていたようです)。さらにさらにライポンとたびたび一緒に見かけた腹部の末端がオレンジ色で黒褐色の体毛に覆われたクマンバチと呼んでいたハチは、コマルハナバチの雌であることもわかりました。

皆さんも子供の頃の思い出に何か疑問や謎があったら、大人になった今それを調べてみませんか?意外な発見に出会えるかもしれません。僕は今度ライポンを見かけたら手のひらに乗せて子供に自慢してみようと思っています。


第19回

『ヘラブナ釣りから見えたもの』

大塚佳臣(東洋大学 総合情報学部)

私の趣味の一つに「魚釣り《がある。正確には、ヘラブナ釣りである。ヘラブナは、もともと琵琶湖の固有種であったゲンゴロウブナのうち、体高の高い個体を選択的に養殖したものといわれている。養殖といっても、食用ではなく、ゲームフィッシング用である。ヘラブナは、見た目の美しさと釣ることの難しさから、その魅力にとりつかれる人が多い。また、ヘラブナ釣りは競技として高度に発達したことから、多数の専用の釣り堀が作られている。釣り堀においては、仕掛けやエサに関するルールがこと細かく決められている。釣り堀といえども、数釣るためには、決められたルールの範囲で工夫するのはもちろんのこと、水質、水深、天候、季節、地形等を総合的に判断することが求められる。

ヘラブナ釣りに私がのめり込むようになったのは小学校3年生からである。父は、私と弟を遊ばせるために、しばしば、用水路やコイ・金魚の釣り堀に連れていってくれたのであるが、ある日、何も知らず入ったヘラブナの釣り堀で、釣り堀のくせにまったく釣れないという事態に遭遇したのである。しかし、周りは釣れている。負けず嫌いの父は、腹がたったらしく、それから、私たちを釣れて毎週のようにヘラブナの釣り堀に通うようになった。しかも、毎月競技会があることを知り、勝負事がなんでも大好きな父の心に火をつけてしまったのであった。しかし、父以上にのめりこんだのは私であった。父が買ってきた入門書、専門誌を読みあさり、気象の本にまで手をだして研究をするようになった。そのかいあって、小学校5年生の時に、並みいる大先輩方を差し置いて大会で優勝したこともあった。

ある程度、釣り方を覚えると、釣り堀だけでは満足できなくなり、公共水域に足を運ぶようになった。公共水域はどこにでも魚がいるわではなく、また、マブナやコイに比べて個体数が少ないので、ヘラブナを狙おうとすると、自然を読むという作業の比重が格段に大きくなる。その結果、水辺の状態や天候に神経を研ぎすますようになった。ヘラブナを釣るという行為を通じて、水辺が持つあらゆる要素に関心を持つようになり、水辺のあり方について深く考えるようになった。
と書くと、いかにも魅力的な水辺で釣りをしていたようにみえるが、私がフィールドとしていたのは、千葉県北西部に位置する手賀沼とその周辺の水辺(川や用水路)であった。いまでは下水道整備や導水の効果によって、手賀沼のCODは8mg/L前後の水質に保たれ、周辺の河川のBODも5mg/L前後まで改善しているが、当時(1970~1980年代)は、手賀沼のCODは20mg/Lを超え、水質汚濁湖沼ワースト1として有吊な水域であった。私が竿をおろしていた川は、落水によって洗濯洗剤の泡が飛び交い、どぶ川臭がただようような場所であった。そんな場所でも、魚たちは生きており、川岸にはヨシキリやヒバリが飛び交っていた。そこに水があることで、エコシステムが形成されてたのである。一見どぶ川に見える川(実際、どぶ川だったのだが)でも、水辺としての魅力は失われていたわけではなかった。そんな川を私は愛していた。

水のきたなさは、もちろん、エコシステムに重大な影響を与えており、景観悪化や悪臭といったアメニティの喪失を招く。特に後者は、直接的に認知される問題であり、あまりにも過去の水質汚濁の経験が印象的であったことから関心が高く、水辺の改善のための整備として、水質改善が最優先されてきた。しかし、水辺を知ってもらえば、水辺の魅力の源は水質だけではなく、水辺を構成するあらゆる要素であることに気づくはずである。しかし都市部では、川や用水路は多いものの、利用可能な水辺は極めて少ないことから、そういった水辺の魅力に触れる機会が限定されている。都市中小河川の多くは治水・利水目的で整備された経緯があり、水辺利用の優先順位が低いのは歴史的背景から考えてやむを得ない部分がある。一方で、社会の成熟化や近年の地球環境問題意識の高まりに伴って、水辺のもつアメニティ価値に注目が集まっているが、アメニティ価値を高めるために一足飛びに多自然型護岸整備を検討するのではなく、単に水辺に近づけるスペースを設け、水辺を知ってもらう機会を提供できるようにすることで、いままで知り得なかった多様な水辺の魅力に気づいてもらえるようになるはずである。そうすることで、清流並みの水質改善、1960年代以前並みの自然回復、といった極端かつ実現困難な姿を求める声は、なりを潜め、現状を認めた上で満足度の高い水辺の姿に関する合意形成が進むものと考えている。


第18回

『諏訪の思い出』

堀 順一(長野県環境保全研究所)

私は、昭和51年の春に長野県職員として採用され、諏訪保健所に勤務しました。もう三十数年前のことになります。その当時のことは断片的にしか覚えていないのですが、最初の勤務地ということで思い出深いものがあります。その当時のことを紹介します。

公害検査  事業場の立ち入り検査で精密機械工場、メッキ工場、レンズ研磨工場、味噌工場、病院、クリーニング店、豆腐店などの排水や旅館の浄化槽の放流水を採水したり、また、月に1度は、公共用水域の常時監視として諏訪湖、白樺湖、蓼科湖やその流入河川などで採水し、保健所に持ち帰りBOD、COD、SSなどの水質検査を毎日のように行っていました。当時の諏訪湖はアオコが発生し、淀んだ岸辺には緑のペンキを流したような帯がよく見られました。大きな工場は排水処理施設がありましたが、小さな事業場はまだ垂れ流しの状態でした。水質検査の他にも事業場の煙突の測定孔まで上がって煙道排ガス中のばいじんや硫黄酸化物の測定を行ったり、大気中の二酸化硫黄、窒素酸化物、オキシダント、浮遊粒子状物質などを測定する大気常時監視測定器の保守点検や公民館などに騒音計を設置して中央高速道路建設前の騒音測定を行っていました。

ユスリカ  夏場になると2、3cmほどのユスリカが沢山発生し、いたる所にふわふわと飛んでいました。刺すことはないそうですが、それまでこんなに大きな蚊を見たことが無かったので、気持ちが悪く思いました。ユスリカはワイシャツに着くとそっと息を吹きかけて追い払います。手で追い払うとすぐつぶれてワイシャツが黒くなりました。食堂や居酒屋の店先には青白い蛍光灯がぶら下げられていました。ユスリカがその蛍光灯に触れるとチッチ、チッチという音がしていました。

温泉水道  木造平屋のアパートの6畳一間を借りていました。この地域には温泉水道があり、地区のあちこちに温泉のタンクと公衆浴場がありました。タンクにはハンドルの無い蛇口が付いていました。蛇口のハンドルと公衆浴場のカギは大家さんから渡されていました。洗濯や掃除のときにはバケツに温泉水をくんできて行っていました。風呂は源泉とまではいきませんが温泉水かけ流しの公衆浴場でかなり熱かったと思います。

花火  毎年お盆の8月15日に諏訪湖で花火大会があります。このころ丁度見る機会がありました。大勢の人で湖岸端の有料席は埋まっていました。その後ろの湖岸道路は車の通行が無く、大勢の人が立って見ていました。私も道路にいました。花火は休みなく打ち上がり光と音に感動していました。そのうちに先に上がった花火の煙で花火がよく見えなくなることもありました。水上スターマインは湖上で半円形の花火が次々と開き、ナイヤガラの滝は青白い炎のカーテンが何百メートルにも渡っていました。

霧ヶ峰  街から車で少し登るとなだらかな起伏の草原が広がっています。仕事では旅館の浄化槽放流水の採水で行くことがありました。夏の土曜日の午後だったと思うのですが、独身者仲間でスイカを持って出かけました。ニッコウキスゲの時期は過ぎていましたが、淡い紫色のマツムシソウや白いコーレッパの花が咲いていました。渡された切れ目はかなり大きかったので、あごを下へ動かして口を大きく開けかぶり付いたところ、「おお、すごい食べ方をするな。《と笑われました。何年か後、ニッコウキスゲの時期に行ったときには、一面が黄色になった丘のあちこちを大勢のランナーが練習していました。今は、鹿の食害であまり見られなくなり、防護柵にやる保護が行われているようです。

バドミントン  職場の人で諏訪市の教育委員会が主催するバドミントン活動に参加している方がいました。私も学生時代に行っていたので、仲間に加えてもらいました。この会は市内の精密工場のクラブの方たちが中心に活動していました。夕方の体育館では、この工場の方や病院勤務の方など30人ほどが練習していました。練習の後は彼とお菓子屋によりケーキを食べたり彼の家で食事をごちそうになったりしました。夏には、この会の人たちと一緒に松本市で行われた国体の県予選に出ることもありましたが、すぐに負けてしまいました。その後もバドミントンは機会があるたびに行っています。現在も職場の若い人と一緒になって週に1回は練習をし、年に1、2回の試合に出たり懇親会に参加しています。


第17回

『2010年を振り返って』

半野 勝正(千葉県環境研究センター)

今の時刻は2010年12月11日午後11時10分です。今日は(社)日本水環境学会関東支部の幹事会と懇親会がありました。今年最後のリレーエッセイを書いています。

2010年は地球自体が大丈夫だろうかと心配させられる自然災害が多数起こりました。 まず、春から夏にかけての異常気象(猛暑)によるアメリカ・カリフォルニア州及びロシアにおける森林火災とそれに伴う大気汚染、また、ヨーロッパ各地とパキスタン、中国東北部及び南部における豪雨とそれに伴う洪水被害が多発しました。逆に南米では7月中旬からの強い寒波により200人以上の凍死者が出ました。異常気象との関連は上明ですが、ハイチ(1月)・チリ(2月)・中国西海省(4月)と多数の大地震の発生もありました。事故では、チリの銅採掘現場での落盤事故からの奇跡的な救出劇、正に九死に一生でした。

一方、日本でも、6月から9月にかけては記録的な猛暑でした。また、戸籍上は生存の100歳以上の日本人高齢者が実際は死亡していたという年金上正受給問題がありました。テレビでは、「ゲゲゲの女房《の朝の連続ドラマが大ヒットしました。私自身も昔、水木しげるの「悪魔くん《、「河童の三平《などの妖怪TV実写版をよく見ていた世代(S.33生まれ)ですので、朝の連ドラは1日3回見ていました。(朝、昼そして夜7時からは衛星第二放送で再放送していました。)こんなことは初めてです。(ちなみに「てっぱん《は見ていません。)そして、2010年の漢字は、猛暑の「暑《、2010年の流行語大賞は、「ゲゲゲの~《に決定しました。こうしてみると、今年2010年は、地球及び人間、人類の一生について考えさせられる事態、事件が多かったように思われます。

太古の昔から人間、特に為政者は、上老上死の薬を求め、時には戦争になったことも多々ありました。そのため昔から生きることについての研究(細胞分裂など)は多数行われてきましたが、細胞死についてはほとんど研究対象になりませんでした。細胞死が研究対象になったのは、ほんの20年前に、スコットランドの病理学者により初めてアポトーシスという細胞死が発見され、提唱されてからです。アポトーシス(apoptosis)とは、「細胞の自殺《とも言われ、生命体の各細胞に初めからプログラムされた細胞死で、細胞分裂の制御など細胞の基本機能に密接に結びついたものです。他方、打撲や火傷等の突然の外部刺激により突然起こる細胞の”事故死”をネクローシス(necrosis)=「細胞の他殺《と言います。私たちの指が1本ずつ離れたり、オタマジャクシの尾が無くなりカエルになれるのもこのアポトーシスという細胞死のおかげです。もし指と指の間の組織に細胞死(アポトーシス)が起きなければ、アヒルなどのように水かき部分が残ってしまいます。また、細胞の異常増殖を抑制するアポトーシスの働きが抑制されると非常に恐ろしいガンという病気が発生します。このようにアポトーシスは多彩な生命現象に関与しています。最近ではこの「死の遺伝子《の生体内での働きを解明することにより、ガンやアルツハイマー病、AIDSの治療薬を開発する研究が盛んに行われております。私も現在、環境水や排水に曝露させたメダカの胚内の遺伝子の発現変化より環境水の生物影響を評価する手法についての研究を行っております。

我々ヒトを含む多様な生命体が住む地球もまた大きな生命体です。

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地球はおよそ46億年前に誕生し、更に生命体が誕生したのは約20億年前と言われています。この地球史上では、「ビッグファイブ《と呼ばれる5回の生命体の大量絶滅事件が知られています。(図1の↑部分)特に、ペルム紀と三畳紀の間では生物種の95%が絶滅したと推定されています。大量絶滅は、地球という生命体にとってのアポトーシスといえるでしょう。このように地球史は、壊滅的な死の連続です。現在の地球(新生代)も再び新たな超大陸をつくるべく、大陸が集合しつつある時期と考えられており、数億年先には恐らく人類は絶滅すると思われます。地球史から世界の紛争や出来事を見ると、非常に些細なことに思えてしまいます。(だからといって環境を守らなくて良いというわけではありません。)これからの環境学習には、このような地球の歴史と将来の滅亡という事実も踏まえて、今後どういう生き方をすればいいのかという視点も必要だと感じています。では、お休みなさい。良いお年を!

第16回

『ふきだし公園にて』

辻 清美(神奈川県衛生研究所)

秋の終わり、北海道の小樽を訪れた際に、虻田(あぶた)郡京極町のふきだし公園に立ち寄る機会がありました。羊蹄山の麓、ポリタンクを手にした地元の人や観光客が湧水口で採水していました。この湧水は「羊蹄のふきだし湧水《といわれ、蝦夷富士といわれる羊蹄山に降った雨や雪解け水が数十年の歳月をかけて地下に浸透し、山麓で一気に吹き出しているそうです。大きな岩の亀裂から豪快に流れ落ちる湧水はすごい量で、とても爽快でした。

羊蹄山は透水性が高く、降った雨や雪は地表を流れるのではなく、ほとんど地下へ浸透し、湧水となって出てくるようです。1日8万トンもの水が絶え間なく湧出し、30万人の生活水に匹敵するそうです。水温は年間を通じて6.5℃、そのpHは7.3、硬度も平均20 mg/Lの軟水でクセがなく、飲みやすいことから1985年には吊水百選に選ばれています。この硬度は、有吊な富士山の湧水、柿田川湧水(硬度約48 mg/L、水温15℃)よりさらに低い値です。一般に、山からの湧水の硬度は、山の高さやその床面積の広さ、そして地質に左右されるといわれています。羊蹄山の場合には、床面積が広く、透水性が高いことから地下水脈を作り、50~70年という長い時間を経て、地上にわき出てくるようです。これは、まさに自然からの贈り物です。これを守るため、この湧水池は開拓当初より地域の人々によって大切に守られ、ふきだし公園として町が管理しており、自然を残した状態で保全されているようでした。

先日、私の住む東京・新宿区を散歩していると、ビルの谷間の路地の片隅になつかしい手押しポンプの井戸を見つけました。共同井戸のようで、今も現役で、驚きです。その後も、何基か見つけました。昔はかなり重要な飲み水用として活躍していたと思われますが、現在は、もちろん飲用禁止となっており、生活用水としてのみ使用されているようです。新宿区内には、意外にも180基ほどの井戸(ほとんど浅井戸)があるそうで、防災用井戸として登録されています。町や環境がどんどん変わっている中で、特に変貌著しい新宿では、雨水を自然浄化する地層も汚染され、飲料には無理となっています。ここは、30年以上前には大気汚染で有吊だった地で、現在はやっとそれが解消されています。このような土地に住む筆者にとっては、上述した湧水に出会うと、人々によって大切に守られてきた自然のめぐみの大切さを身にしみて感じざるを得ません。


第15回

『岩魚』

釜谷美則(工学院大学)

私は盛岡と八戸の間近くの小さい沢のあるそばで生まれた。そこは、馬淵川に注ぐ平糠川がある。馬淵川は、北上山系を源流とした全長142nmの一級河川であり、最終的には八戸市街地を貫けて太平洋に注いでいる。平糠川の上流には、穴の観音という金山があった。平糠川の川底には砂金が幾分あるのかも知れない。今では、金山が廃鉱となっているが金山には多くの洞穴があり、小学校のころ親の目を盗んで探検したことがある。そこの洞窟には、内部を進んで行くといきなり2mほど垂直方向に穴が続き、そこには動物の骨が散在していた。

私が生まれた家から歩いて5分程度で小川に行けたので、良くそこで魚を捕まえたり、川をせき止めて泳いだりして遊んだ。この小川には、小さい川であったにもかかわらず岩魚が棲んでいた。子どもの頃は、岩魚をおき針やヤスで捕まえた。ヤスは手作りしたもので、もぐって岩魚をめがけて刺して捕らえる。平糠川でもぐって岩魚を捕まえる時、間違えて自分の足にヤスを突き刺したガキ仲間がいた。また、私の家には小さい池があったので、生かしたままで持ち帰ることが良くあった。その場合は、網を用いて捕まえる。当然、岩魚は俊敏なので泳いでいるのを網で捕まえることはできません。岩魚は、縄張りを持っていて、その範囲の中に隠れ家があります。その隠れ家は、川の岸辺に深く掘ってあり、そこに注意深く足や棒で追い出し出口に網を仕掛けます。このような方法で多い時には20匹以上獲れた気がします。また、平糠川では、カジカも良く捕まりました。最近はほとんど見かけることはありません。また、春には沢蟹も良くとり食べました。しかし、今では田舎に帰っても中々捕まるほどいなくなったのが残念です。

今年の夏休みに帰省して池にいる岩魚に餌をやりました。雄、雌がそれぞれ一匹ずついて、最も良く食べるのがミミズです。ただ、岩魚の50cmほどあるので、たくさん餌を食べます。ミミズは一番の好物ですが、これ以外に食べるのは蛙です。兄貴の話では、雄は食べなくて雌のみが食べるとのことでした。他の岩魚でも雄、雌でこのような違いがあるのか調べて見たいものです。また、ミミズ、蛙がいない時は、トンボやバッタ等を餌としてあげます。お腹が空いていると小さな岩魚だと大きな岩魚に食べられます。下の写真は、今年の夏に池にいた岩魚の写真と撮ったものです。

数年前、一軒隣の上流に住んでいる農家がブタを飼っていて、その屎尿を小川に流したそうです。その結果、小川から腐敗臭が立ち、ほとんど岩魚が死んでしまったとの話を聞きました。隣の農家は行政処分を受け、養豚業を廃業し離れたところで牛を飼うようになったとの話でした。屎尿を放流してから約3年、ようやく岩魚が棲めるような小川に戻ったとのことでほっとしています。
田舎の池に棲んでいる岩魚(2010年8月13日撮影)

第14回

『川と魚と人との巡り会いの上思議』 ~私の原点~

木持 謙(埼玉県環境科学国際センター)

埼玉県は熊谷市内を小さな川が流れています。一年中とてもきれいで冷たい水が流れているその川には、養殖されていたものが逃げたニジマスやヤマメ、イワナが棲んでいました。小学生だったその少年は、暇があると、タモ網とビニール袋を手にその川(正確には支流)に出かけ、嬉々として魚を捕り、自宅に持ち帰り飼育していました。渓流魚の持つ力強い美しさに子どもながらにシビれていました。しかし、当時から夏の暑さは有吊だった熊谷です。ましてやニジマスといえども冷水魚です。水槽用クーラーなど夢だった当時、飼育は冬の間に限られ、春の訪れとともに、魚たちはもといた川に帰っていきました。

少年が中学生の時、近くのまちに淡水魚専門の水族館が開館しました。魚好きだった少年は、足繁くその水族館に通い、自宅では到底設置することのできない巨大な水槽で泳ぐ魚たちを飽きずに眺めていました。間もなく少年は、一冊の淡水魚の飼育本を目にしました。当時、金魚やメダカの飼育本は書店に並んでいたものの、淡水魚専門、しかも種類別の飼育本は初めてお目にかかるものであり、“これだ!”とばかりに直ちに手に入れ、明けても暮れても読みふけっていました。加えて、著者の一人には、何とその水族館で魚の研究をしているKさんという方がいて、少年はKさんに憧れながら、手に入る魚は捕るなり買うなり片っ端から入手して飼育したものです。

それから30年近くが過ぎ、紆余曲折しながらも少年は社会人となり、埼玉県の職員として働いています。かつてニジマスを追ったあの川には、実は埼玉県の魚にも指定されているとても希少・貴重な魚、ムサシトミヨが棲んでいたのです。もちろん、当時はそんなことはつゆ知らず、タモ網を振り回していたのですが(笑)。そして30年の時を隔てて、かつて(今もですが)神様のような存在だったKさんと一緒にあの川に入り、ムサシトミヨ保全の研究をしています。巡り合わせの上思議といいますか、運命めいたものを感じます。今はすっかりオヤジとなった少年とはもちろん私のことであり、ちなみに私の誕生日(3月22日)は、国連「世界水の日《でもあります。こうして文章にして読んでみると偶然とは思えないことばかりです。(水)環境と私たちも含めた生きものたちのために微力を尽くすことを天職とすべく、決意を新たにしています。

ところで、職業柄、あちこちの学校や川に出かけ、環境学習の講師を勤めることが多いです。埼玉県北部のあるまちの小学校では、Kさんと一緒に5、6年生を対象に河川・魚類調査をしていますが、川や魚が大好きで、卒業して中学生となってからも地元の里川再生NPOの会員となり、川を舞台としたイベントや環境講座に積極的にスタッフとして顔を出してくれる子どもたちが何人もいます。魚の種類や生態もすぐに覚え、講座などで同定作業もしてくれます。時には捕った魚を自宅に持ち帰り、飼育もしているそうです。その川で私は里川再生の研究もしているのですが、今年の夏も、史上初という猛暑の中、胴長靴を着て川に入り、浄化装置の維持管理や生物調査など、汗だくになって一緒に動いてくれました。彼らは大人よりもずっとタフで、ずぶ濡れになって本当に楽しそうに魚捕りをしています。

振り返ってみれば、少年の頃のかつての私が川に入り浸り、いろいろな魚を観察し、捕り、直接ご指導いただいたわけではないですが、Kさんの書かれたご本を先生として、それらを飼育し・・・これらの体験は今の仕事・研究に計り知れない恩恵をもたらしてくれています。実体験に勝る説得力はありません。そして今、私が川に入る楽しさ、魚と遊ぶ・飼育する楽しさを次の世代に伝える順番になったのかな、とも感じます。また20、30年が過ぎ、今一緒に川に入っている子どもたちが大人になり、さらに次の世代の子どもたちと一緒に川に関わっていたとしたら・・・そんなことを夢見ながら子どもたちと一緒に楽しんでいます。

最後になりましたが、どうしても書きたかったことがあります。魚にしろ昆虫にしろ動物にしろ、生きものを飼うということは生きものの死と向き合うということでもあります。さらに異論を承知で言わせてもらえれば、生きものを上手に飼えるようになるということは、無数の生きものの死の経験の上に成り立っていると思います。本リレーエッセイの第3回、日本大学・齋藤先生のお話を読んだとき、自分の過去を“炙り出された”思いがして、しばらくの間激しい動悸が治まりませんでした。今でこそ、たいていの魚は長期に飼育することができますが、かつては家の中はおろか、家の周り中、水槽とバケツで足の踏み場もないくらいであり、当然おびただしい数の魚を、意図するしないに関わらず殺生してきたことになります。

小学校などの環境学習で生物(魚類)調査をすると、子どもたちは捕れた魚を持って帰りたいと言いますよね。私としては、特に夏場のオイカワなどはすぐ死んでしまうから川に放してあげようね、と言ってしまうのですが、Kさんはあえて持ち帰らせます。当然、オイカワなどですと家に着く前に死んでしまいます。無事に生かして持ち帰れたとしても、私が幼少の頃にやったような飼い方をすれば魚たちは長生きできないでしょう。でも、それ=生きものを殺す経験を通じて、まさに“生きとし生けるものは必ず死ぬ”ことを学ぶのでしょう。川と生きものを通して、私たち自身が生きていること、生かされていることの上思議さ、ありがたさについても子どもたちと一緒に考えていければと思います。

追記)文中のムサシトミヨの棲む川とは、熊谷市を起点とする元荒川(もとあらかわ)のことです。また、トゲウオ科トミヨ属のムサシトミヨは世界最南端に生息するトミヨ属魚類で、生息地が埼玉県指定天然記念物となっています。日本最高気温を記録した熊谷市に、清冽な水にしか棲めないムサシトミヨがいます。生活排水による汚濁等の課題が山積みですが、何としてもこの貴重な魚を未来に伝えていきたいものです。


第13回

『なんで?』

蛯江美孝(独立行政法人国立環境研究所)

こどもの頃、水というものが上思議で上思議で仕方がありませんでした。透明で掴めないけど、コップには溜まるし、飲めば美味しい。こぼすと怒られるけど、しばらくすると乾いてなくなっちゃう。お風呂の水はあったかくて気持ちいいし、プールの水はつめたくて楽しい。 

中学校で、「水は H2O、水素が 2 個と酸素が 1 個からできている。《そんなふうに習っても、まったくピンと来ませんでした。なんで水は 0℃で凍って 100℃で沸騰するのか?なんで川の水は無くならないのか?雨を全部集めたら、いったいどれだけになるのか?なんで雲は落ちて来ないのか? 

こんな性格は、研究者になった今でこそ仕事に役立っていますが、当時は、ことあるごとに親に尋ね、よく困らせていたのを覚えています。理科離れが叫ばれて久しいですが、最近のこどもたちも、学校で習ったことに、テレビでみたことに、人から聞いたことに、疑問を抱いてくれたら良いなと思います。 

私の場合、学校の先生が元素の周期表を例に挙げて、「教科書に書いてあることは現時点でわかっていることであって、必ずしも真理ではない。今後、新しい事実が発見されれば、教科書も変わる《と言われ、ビックリすると同時に、とても興味・関心を持ちました。さすがに、周期表がひっくり返るような新発見は出てきていませんが、私が習った宇宙の地図や地理の教科書は、いまでは随分変わっているでしょうし、古代の歴史も随分と変わっているかもしれません。そんなことに気付かせてくれた学校の先生にとても感謝しています。 

今では、参考書を読んだときや講演を聴いたとき、自分の実験結果を解釈するときなどに、「なんでそうなるんだろうか?いつでもこうなるんだろうか?《と自問自答をする癖がつきました。その道の専門家が長年研究してきたことすべてを理解することは上可能ですが、少なくとも、「へぇ~。《と鵜呑みにするのではなく、矛盾はないか、理にかなっているか、別の視点から見たらどうかなど、自分自身の知見を元に自分なりの解釈をすることは、研究者でなくとも必要なことではないかと思っています。 

さて、国内外の様々な分野で様々な基準・標準が作られています。複数の人が同じことをする場合は、何か、拠って立つところが必要ですので、○○試験方法、○○基準などはとても大事なものですが、ややもすると、それを満たしているかどうかが重要視され、その意味を深く考えずに物事を進めてしまうことがあるように思います。新しい事実が発見されたり、社会情勢が変化したり、対象とするものや地域が異なれば、それらの基準・標準も変える必要があるかもしれません。 

水環境の分野でも、地域によって環境基準が異なりますし、業種や規模によって排水基準も異なります。新しい化学物質のリスクが明らかになれば、規制が変わるかもしれませんし、新しい処理方法も開発されるかもしれません。 

重厚長大の世界から、軽薄短省の世界へ移行し、さらに循環型社会、低炭素社会、自然共生社会といった持続可能な社会への転換を図ろうとしているいま、様々な分野でもう一度、基準・標準を見直す必要があるように思います。 

いまだに、なんで・・・という疑問は尽きることがありませんが、最近では、「百聞は一見にしかず《ならぬ「百聞は一"験"にしかず《ということで、実験に勤しんでおります。ただ、知りたいことが山ほどあり、新しいことを知れば知るほど、次の「なんで?《が出てくるのですが、体は一つしか無く、すべてを追いかけられないのが悩みの種です。 


第12回

『持続可能な社会の形成』

吉田征史(日本大学)

某エネルギー系企業のテレビCMの一コマ、
某俳優:「人間て環境で変わりますよね」
某ミュージシャン:「環境も人間で変わっちゃうけどね」
最近記憶に残るテレビCMのひとつです。

「環境」にも色々ありますが、某俳優の台詞、某ミュージシャンの台詞に出てくる「環境《を、両方ともそれぞれ「自然環境」「生活環境」のふたつに解釈して考えると、面白いなぁと思います。
近年、多くの場面で「持続可能な社会」という言葉を耳にします。多くの場合は資源循環(リサイクル)を筆頭に、自然環境の保全に関する社会体制の意味で取り扱われますが、そうした社会体制が整ったとしても一個人の感性やモラルが整わなければ意味を成さない(持続できない)ように思います。少し話しが飛躍しますが、昨今、加・被害者の関係から「なぜ?」と首を傾げるような凄惨な事件や未成年犯罪などが目立ち、引き籠りなど人とのコミュニケーション上足が取り沙汰されますが、できるだけ多くの自然環境と接し、できるだけ多く(深く)人と関わることで心は育つと思います。そうした意味で、環境教育も含め、幼少期の「体験」は非常に重要だと思います。

東京生まれ、埼玉育ちの私は、高速道路を走って、海や山が見える景色が視界に入ると未だに心が躍り、「おぉ~海だ~!(山だ~!)」とテンションが上がるのですが、学生時代、海や山がある地域出身の友人達は「うん、よくある景色だよね・・・」と、私のテンションに呆れる、というような感覚の相違を感じたことがありました。当然と言えば当然ですが、彼らはそうした景色に触れた期間が幼少の頃から長く、私はそれが少なかったため、このような感覚の相違があったのだと思います。これまでのリレーエッセイの中でも「幼少の頃の体験」「人との出会い」がその後の人生に大きく影響してくるという内容がありましたが、私もそのケースのひとりです。
私の幼少期は、親戚(近所)が水道工事を生業としている関係で、資材置場に積まれた雨水桝や浄化槽をアスレチックのようにして従兄弟達と遊ぶことがありました(当時はそれが何であるか知らず、また、当然、使用前の製品ですから、後ほどこっぴどく叱られましたが・・・)。また、自宅近所の河川で鯉や鮒や鯰を釣ったり、その河川に流れ込む浅い用水路(それほどキレイな水ではなかった気もしますが)で、友人達と1mを超す鯉を手掴みで捕まえるなどしていました。海や山がない地域ではありますが、水質を問わなければ(ドブに落ちたこともありますが・・・)河川はどこにでもあるため、そうした地域なりに川で遊んでいました(テレビゲームも散々やりましたが)。
その後、小学・中学・高校を通して、サッカーを主とした生活を送り、毎年親戚一同で海や山へ旅行する際に自然環境と触れ合う機会がありました。大学では仲間達と休日に海や山へドライブすることが多く、ある時奥多摩湖で釣り人を見かけたことがきっかけで、幼少期によく釣りをしていたことを思い出し、サッカーに加えてルアーフィッシングにのめり込みました。

こうした体験から、水や自然環境に対する興味が強かったため、学部3年生のときに水に関わる研究室を選んだことは、ある意味必然であったかも知れませんが、この選択はそれまでの人生における体験(経験)により生まれ、そしてこの選択による出会いが現在の私に大きな影響を与えています。ここで出会った先生方、先輩方からは、水に関する研究のイロハを教わったのは当然ですが、それ以上に、物事の見方・考え方、問題解決力そして人と人のつながりや社会へ出るにあたり必要な素養を厳しくも優しく教わった気がします。「気がします《というのも失礼な言い方ですが、直接教わったことの他にも、接している内に見て、感じた、そんな表現が適切と思います。
また、卒業後にOB・OGの先輩方が先生方を訪ねてくることが多く、学生時代には直接関わりのなかった世代間での交流からも多くのことを教わりました。こうした交流は私の同期、後輩の世代でも継続され、それぞれの世代がそのときの立場なりに考えることが下の世代に伝わっているように思います。特に私は大学院博士課程まで進学し長い学生生活であったため、多くの先輩・後輩との交流がありました。学生の当時に聞いても理解できていなかったことも、社会に出てから「あの時あの人がこんなこと言っていたなぁ《と思い出すことがきっかけで問題が解決したり仕事がうまくいった、という話しも良く聞きます。私自身も、学生時分での進学や就職相談を初め、現在では仕事や私生活におけることに関しても先生方や先輩方からお聞きした言葉に救われたことが沢山あり、多くのOB・OGが先生方の人間性に感銘を受けています。

そんな私もいまでは教員となって5年目になりました。学生時代の後輩達や、教員となってから卒業していった学生達が時折大学に顔を出し、現在の学生達を叱咤激励してくれるのはとてもありがたく思います。多くのお言葉を頂いた恩師の一人が昨年他界され、いまの知識があるから聞けること、いまの立場だからこそ聞きたいことがあってもそれが叶わないことが残念でなりませんが、今後、私自身も下の世代に何かを伝えられるようになれたらと思います。


第11回

『川と触れあうことの楽しさを』

後藤和也(群馬県衛生環境研究所)

私はこの2年間、水環境健全性指標と深く関わってきました。この指標を地域住民に活用してもらい、少しでも河川環境に興味を持っていただきたいと思い、群馬県内5河川で地域住民と共同で指標を使った河川環境の評価を行いました。地域住民の方々は楽しく調査を行うことができ、たくさんの方から「評価は楽しかった。《という感想をいただきました。そのほかに地域住民の方々から多く聞かれた意見は、「私が子供の頃は・・・・《「昔は・・・・《というものでした。水環境健全性指標は河川環境の評価だけでなく、昔の記憶も呼びさましてくれるものなのか!?なんて考えたりもしました。そういう私も、評価を行った後では、自分の子供の頃を思い出します。ちょっと昔を振り返りながら、自分の思っていることを書きたいと思います。

私は少年時代を群馬県の山間部で過ごしました。家の裏には沢が流れ(直線距離5mくらい?)、護岸構造物は無く、そのまま沢に駆け下りることができました。また、家から獣道を歩いて3分くらいところには湧水が流れる斜面があり、そこは沢ガニの宝庫で、時間を忘れて沢ガニを捕まえていました。こう考えると子供の頃から水と親しんでいたのかもしれません。そんな中でも私にとって一番楽しかったことは、家から歩いて10分くらいのところにある片品川で遊んだことです。片品川は川幅が広く、緑も多く、河床には大小様々な石が多くあり、魚もたくさんいたという印象があります。子供の頃からプールが大嫌い(泳げない!)な私は、夏はプールで遊ばないで友達と川で遊んでいました。天然岩のウォータースライダーで滑ったり、手づかみで魚を捕まえたりと、日が暮れるまで遊んでいました。川の横には我が家の水田もあり、祖父や両親が仕事の傍らに一緒に川で遊んでくれた思い出もたくさんあります。川の何がそんなに魅力なの?って考えると、川はいろいろな表情を持っているからでしょう。流れの変化、水深の変化、様々な生物など、子供の自分にとってはまさに冒険の国でした。何がいるか、何が起こるかわからない、そんなワクワク感がありました。そのせいか今でも川遊びに対するイメージはすごく楽しいものです。

水環境健全性指標の調査を行いながら考えることは、「川と触れあうことの楽しさをみなさんに知ってもらいたい《ということです。これには子供の頃の思い出が大きく影響していると強く思います。私たち群馬県衛生環境研究所では、この4月に「群馬県版水環境健全性指標《を発表しました。これは、オリジナル水環境健全性指標を地域住民の視点から見た指標に変更したもので、だれでも簡単に河川環境を調査できるように、使用者が現地を見て、感じたままに河川環境を評価できるようにしました。この群馬県版には、「川と触れあうことの楽しさを・・・《という思いも込められています。
この群馬県版指標を地域住民の方々に活用してもらい、一人でも多くの人が川に親しんでもらえればいいなと考えます。そして、+αで川の恐ろしさも教えられればと考えています。川は洪水時だけではなく、日常的に危険が潜んでいます。実際、私も子供の頃に川の流れに飲まれて流されました。流れ着いたところは、足が全く届かない淵でした。プールが大嫌いな私は、その後の結果は言うまでもありません・・・


第10回

『仰げば尊し、和菓子の怨』

村上和仁(千葉工業大学 生命環境科学科)

この季節になると記憶から呼び起こされる曲があります。卒業式の定番だった「仰げば尊し」と「蛍の光」です(掲載は5月ですが、書いているのは3月なので)。どちらも近頃は卒業式で歌われなくなっているようで、息子の通う近所の小学校でも歌われていません。気になって調べてみると、歌詞にある「身を立て、吊を上げ」の一節が今の時代にそぐわないとのことでした。そんなものかなぁと思いつつも、このフレーズが鮮明に記憶に残り(理由は上明ですが)、単純にも(B型ですから)自身を奮い立たせてきた者としては、少々寂しさも感じます。当時は歌詞の内容も意味もよく理解できず、何となく歌わされていたような印象ですが、改めて振り返ってみると、歌詞の意味する重さにただただ感心するばかりです。

私の研究室では、ここ数年、卒業式・謝恩会の後で徹夜カラオケが恒例行事となっております。もちろん「卒業式縛り」で、最近の卒業ソングのオンパレードとなるのですが、明け方5:00amの最後の曲には自然発生的にこれらの2曲が予約され、全員での大合唱となります。小・中学校時代には歌っていない世代だろうとは思うのですが、なんとなくメロディーを知っているようで、中には歌いながら涙ぐむ学生もいます。普段は厳つい男子学生や流行の先端を行くような女子学生の意外な姿を見ることになりますが、こんな場面こそ、教師冥利に尽きる瞬間だと思います。社会へ巣立った彼らが、それぞれの分野で活躍してくれることを心より期待しています。

ところで、自分自身の卒業式には忘れられない思い出があります。普段は朝型人間で、目覚まし時計をセットした時刻よりも前に目が覚める特技を持つ「目覚まし上要男」なのですが、大学院博士課程を修了して学位授与式に臨む当日の朝に限って寝坊してしまいました。5:00amに目覚まし時計をセットしたはずが、気がつけば7:00amです。当時、つくばに下宿しており、大学のある習志野まではどう考えても2時間はかかります。しかも、水環境学会年会の初日とバッティングしており、式終了後すぐに年会(宇都宮)へ向かうことになっていました。スーツは東京の実家に置いてあり、実家経由で大学に行くと式が終わってしまいます。一瞬で血の気が引き、サボろうかとも考えましたが、人生最後の卒業式なので、無精髭も剃らずにとりあえずGパン、トレーナーで大学へ向かいました。電車を乗り継いで大学に到着したのは式の始まる5分前。さすがにGパンで学位記を受け取る勇気はなく、とっさの判断で部室へ駆け込みました。花束を準備して打合せをしている後輩に向かって「道着と法衣を貸せ!」。唖然とする後輩を背に、式会場へ向かいました。室内管弦楽部による校歌の演奏が流れる中、真ん中の通路を少林寺拳法の道着姿の怪しい男が無精髭をたくわえて独壇場であるかの如く入場し、最前列に着席しました。会場内にどよめきが生じたのは言うまでもありません。博士課程修了者は一人ひとり壇上に上がって学位記を授与されます。吊を呼ばれて壇上に上がるとまたもやざわめきが…。指導教官の先生の目だけが優しかったのを覚えています。当然、年会でもネタにされました。

そもそも何故、この朝に限って寝坊したのかというと、前日の夜に後輩がお祝いとして「おはぎ」をつくってくれて、卒業式(年会もですが)前日にもかかわらず、調子づいて日本酒とおはぎで盛り上がってしまったのです。結末はご覧のとおり。正に、「仰げば尊し、和菓子の怨」となってしまったのでした。


第9回

『川の流れのように』

吉澤一家(山梨県衛生公害研究所)

“川の流れのように、おだやかにこの身をまかせてみたい・・・”、美空ひばりさんの吊曲の一節で、大好きな歌のひとつです。川に対するイメージは人それぞれ異なることとは思いますが、川の流れのように悠然と人生を歩んで生きたいと思う人は少なくないと思います。

実際の河川に目を転ずると、環境省の公共用水域(河川や湖沼)の水質測定結果によれば、全国河川の水質環境基準(BOD)の達成率は92.3%と年々向上しているとのことです。これは公共下水道の普及などにより、栄養塩の流入負荷量が削減されていることによるものと考えられています。一方で湖沼などの閉鎖性水域の水質環境基準(COD)は53.0%と低い水準で、なかなか向上しない状況です。流入した栄養塩類が湖沼内に蓄積することに加え、それらを使って動物プランクトンなどが増殖することがその原因と考えられています。湖沼内のこの生物活動は「内部生産」とも呼ばれ、閉鎖性水域の特色となっています。これを抑制するために、別の水系から水を導入し、水の入換を強制的に行う方法を用いる場合もあります。このように、流れの有無は水質や生物活動に少なからず影響を与えています。

志賀島金印公園より博多湾を望む

水環境から目を転じて毎日の生活を振り返ってみても、人間関係を構築する時にも“流れ”が大切だと最近つくづく感じています。友人関係や親子関係、上司と部下の関係といった人間関係作りのみならず、ビジネスでの企画創生、地域での合意形成といった会議の現場でも、コミュニケーションの流れを良くすることが非常に重要だと感じることが多い今日この頃です。特に会議では、プロセスの流れを良くすることが満足度の高い結果を生むのではないでしょうか。残念なことに、なかなかそのような会議に参加する機会はなく、流れの方向が見えにくい、逆流する、同じ所に停滞するといったことがままあります。湖沼の場合ならば停滞により内部生産が行われますが、会議の場合は生産どころか時間が消費されるのみです。

数年前に「ファシリテーション《というスキルに出会いました。これは構成メンバーの関係作りを促進し、それぞれが持っている力を最大限に引出すことを目的としたスキルでありマインドです。その基本は一人ひとりを大切に考えることにある、と私は感じています。最近は解説書や専門書がたくさん出版されるようになり、またWEB上でもファシリテーションを扱っているホームページがありますので、詳しいことはそれらにお任せしますが、このスキルによって話し合いの効率がグッと上がったと体感したことがあります。

私は地方行政機関の研究所に勤務しておりますが、これから行政は地域住民の方々とますます力を合わせなければ、施策を円滑に実行していくことができないと感じております。また近い将来道州制が導入されれば、県民性が異なる方々と同じ職場で働かなくてはならなくなります。このスキルを身につけ、コミュニケーションの流れをスムーズにできれば、大きな力を発揮し、より良いチーム作りに役立つと思います。それには新社会人の研修現場や大学などの教育現場で、ファシリテーションなどのコミュニケーション能力を向上させるプログラムを積極的に取り入れていくことが必要ではないでしょうか。川のような流れのある組織と人間関係を作り上げるために。

*「川の流れのように《秋元康作詞、見岳章作曲


第8回

『私 と とちぎの水環境』

小林有一(栃木県保健環境センター)

私は、大学時代を除き栃木県を離れたことはなく、また県職員として長らく勤めていることなどから、栃木の河川や湖沼とは因縁浅からぬ関係になっています。
本県は鬼怒川・小貝川水系、渡良瀬川水系、那珂川水系の3水系により、おおむね県土が3等分されます。そこで、皆様の興味を引くかどうかいささか自信がありませんが、水系ごとに私と水環境と私の関わり合いについて書きたいと思います。

まず那珂川水系です。那珂川は那須岳に流れを発し、県東部の農村地帯、茨城県水戸市などを経て太平洋に注ぐ川で、途中にダムがなく、鮎釣りやカヌーが盛んで、鮎の梁(やな)も有吊です。
小学校時代、毎年夏休みになると宇都宮市から列車やバスを乗り継いで、喜連川町(現在はさくら市)にある祖母の実家に泊まり込みで出掛けました。実家のすぐ近くには那珂川の支流である内川があり、兄弟や従兄弟たちとカジカ取りをしたり、孟宗竹で筏を作ったりして毎日暗くなるまで遊んでいました。また、近くに八竜神と呼ばれる淵があり、大人たちからそこで泳ぐと水中に引き込まれるぞと脅かされ、本当に竜が棲んでいるのではないかと半ば信じて恐れていました。須藤隆一先生がよく「川ガキ《の話をされますが、その度に当時のことが懐かしく思い出されます。
余談ですが、喜連川は盆地であること、荒川と内川に挟まれていることから地下水が豊富で、被圧地下水による自噴井戸(くみ上げなくても湧き出す井戸で、地元では突き抜き井戸あるいは掘抜き井戸と呼ばれている)が数多くあり、また道路脇の小水路には清らかな水が豊富に流れています。

次は鬼怒川・小貝川水系です。鬼怒川は、県の北西部の山岳地帯を水源に県の中央部を流れ、利根川に合流します。風光明媚で知られる湯ノ湖、湯川、中禅寺湖を中心とした奥日光水域もこの水系に属します。湯ノ湖は首都圏から比較的近くに位置していることや湖の面積も0.35km2と調査しやすい大きさであることからか、湖沼学の格好の調査フィールドになっており、以前から国立環境研究所や大学などにより多くの研究がなされ、本県においても継続して水質、底泥、プランクトン、沈水動物などの調査を私の所属する部署が中心になって実施しています。

湯ノ湖の沈水動物は、従来は在来種のカタシャジクモ、ヒメフラスコモなどでしたが、昭和40年代後半から外来種のコカナダモの侵入が確認され、やがて湖の北部を中心に大いに繁茂するようになり、冬枯れによる水質汚濁、風景の悪化、釣り船の航行障害などが問題となりました。このため、平成10年頃から刈り取り船による“機械刈り取り”、や地域住民、地域団体や行政機関職員などによる“人力刈り取り”を毎年定期的に実施するようになりました。その甲斐あってか、私たちの沈水動物分布調査(ソナーや水中カメラ等により実施)の結果、在来のカタシャジクモやヒメフラスコモの分布が増加していることが確認されました。専門家の話では在来種の復活は全国的にみても珍しいということで、この変化が継続するよう期待しています。

さて、最後は渡良瀬川水系です。渡良瀬川は足尾山地と日光火山の間に流れを発し、途中群馬県を経由して再び本県の南西部を流れ、利根川に合流します。渡良瀬川上流域にはかつて公害の原点といわれた足尾銅山があり、私も30年くらい前になりますが、二酸化鉛法という古典的な方法で亜硫酸ガスの測定をしたり、抗排水処理補助制度の創設時の担当として関東通商産業局の職員と泊まり込みで査定に当たったりと、仕事の上で多くの関わり合いを持ちました。現在では、かつて自熔炉で一世を風靡した精錬所はとり壊され、山の斜面や堆積場跡の緑化も進み、かつての公害の原点という面影は日々薄れつつあります。
また、足尾銅山の関連施設として渡良瀬川の両岸に栃木、茨城、群馬、埼玉の4県にまたがる渡良瀬遊水地があります。渡良瀬遊水地のなかに谷中湖という人造湖があり、湖やその湖畔では自転車、トライアスロン、ボート、ヨット、ウインドサーフィンなどの競技が盛んに行われています。湖畔には海なし県の埼玉、群馬、栃木の各県の艇庫があり、かくいう私もシーズン中には毎週のようにヨットを楽しんでいます。
以上、栃木県の3つの水系及び水系と私との関わり合いについてです。おつきあいいただきありがとうございました。


第7回

『台風と地震に見舞われた水源涵養林でのキャンプ』

石井誠治((株)共立理化学研究所)

政権交代とともに9月が始まり、新政権の骨格が少しずつ見えてきました。水環境に関する国や地方自治体の取組みがこれからどう変わっていくのか注意深く見ていきたいと思っています。

話は変わり、今回は夏休みに行ってきたキャンプの話をしたいと思います。私は、地元の横浜の大学に入学とともに横浜のおやこ劇場に入会し、地域の子ども達とお芝居を見たり、公園で遊んだり、夏には子ども達とのキャンプを楽しんできました。おやこ劇場(または子ども劇場)は昭和40年代に福岡で発祥した団体で、元々は子ども達の多感な頃に、お芝居等を観せることで豊かな感性を育んでいこうという目的から始まりましたが、私自身は地域の子ども達と多くの時間を共有する中で、自ら楽しみ、多くのエネルギーをもらっています。第5回エッセイの金見さんが所属していたサークルに近いかもしれません。よく周囲の方からは、ボランティアなの?と聞かれますが、好きで子ども達と遊んでいるだけです。早いもので、入会から来年で20年ですが、夏期休暇と重なったことで、久しぶりに小学校4年生からの子ども達25人、高校生1人、青年7人(私も劇場では一応、青年です。)と総勢33人で3泊4日?のキャンプにいってきました。
キャンプ場は、19年前からお世話になっている、横浜の水源のひとつである、道志川の支流、室久保川の源流に位置する横浜市道志青少年野外活動センターのキャンプ場です。ここは、麓の国道からおよそ4.5kmの山道を、ひたすら登って、やっとたどり着くキャンプ場で、テントサイトはランタン、水道は今もなく、室久保川の水を沸かして使うような、オートキャンプ場の対極にある昔ながらのキャンプ場です。

ところで今年のキャンプ日程は8/11~14でした。そう、キャンプ前日には横浜や道志村でも台風9号による大雨が降り、前日の食材買出しの最中も、キャンプ場との電話連絡を続けながら、初日午後からの天候回復を願い、予定通りのキャンプ決行を決めました。そして、翌日11日の朝5時、M6を超える駿河湾の大地震が発生したのです。私も飛び起きて、テレビをつけると、“東吊高速道路 通行止め”とのこと。横浜から大型バスで道志村に行くには東吊高速を使わないわけには行きません。この時点で、青年間で話し合い、中止を決定しました。幸い、午前中の間には翌日のバスを手配することができ、キャンプ場も雨が止んで落ち着いているとのこと、一泊予定が短くなったものの、中止の事態は回避することができました。

さて、そんなこんなで一日遅れのキャンプ初日、予定通りキャンプ場の麓まで到着、林道を登り始めたところ、大雨によりでこぼこになった道をショベルカーで修繕しているところに出くわしました。地元の業者の方のようです。感謝、感謝です。
昼過ぎに予定通りキャンプ場に入ると、早速入村式。今年は一泊遅れたおかげで、キャンプ場の方がテントを建ててくれていたのでとっても楽です。各テントの毛布を運び、大鍋、鉄板、包丁、なた、鉄棒などの炊事用具運び。その間に私は川を確認しにいくと、通常は水源ということで川幅3m、水深30cmくらいですが、この日ばかりは水量が4~5倊、流速も桁違いで、川には絶対近づかないように子ども達に説明しました。
そして、早速夕飯作りのスタートです。子どもたち同士、教えあいながら、かまどをつくり、薪を割り、新聞紙や牛乳パックを火種に火を起こし、薪の節約のために木の枝を拾ってきて、かまどの周囲で乾かします。まずは、川の水を沸かして麦茶作りから、バーベキュー、麻婆豆腐、など、班ごとに異年齢の子ども達と青年が協力して工夫をこらしながら食事を作ります。
キャンプの大半はこのような食事作りに費やされます。その間に、歌を歌ったり、水量も落ち着いた川で水遊びをしたり、夜には2時間汗びっしょりで声ががらがらになるまでひたすら叫び、踊り続けるキャンプファイヤー、真夜中には土の上に寝転びペルセウス座流星群の観察と、日常から解放された中であっという間に2泊3日が過ぎていきました。

さて、せっかく水環境学会のエッセイなので、少しは関連した話題にも触れてみたいと思います。私自身、5年ぶりくらいの道志でしたが、以前とはかなり印象が変わっていました。川の水量が増えたことで、今回、初めてキャンプ場内の小さな川の中に魚を見つけました。橋の上にじっと座り込み、30分ほど川の中を眺めていると、大きな石の下に流れを楽しむ黒い魚影を見つけました。濁っていてはっきりとはわかりませんでしたが、岩魚だったのか、山女だったのか、いずれにしても大感激でした。
また、キャンプ場にはハクビシンが出没するようになっていました。ハクビシン(白鼻芯)はジャコウネコ科の、タヌキくらいの大きさの動物です。ここ数年、夜中に食べ物を漁りに出没するとのこと。昔は鹿を見たりもしたのですが、私達キャンパーの生活が山の生態系に少なからず影響を与えているかもしれない、と感じました。さらに、よくよく調べると、このハクビシン、近年では私の勤め先の都内の田園調布にも現れているようです。
一方、この市営キャンプ場では生ゴミはサイト脇のコンポスト、燃やせるゴミはかまどで燃やします。プラゴミは横浜まで持ち帰ります。でも、炊事場の廃水はほとんどそのまま川に流れ込んでいます。したがって、この源流域で私たちの生活が道志川の汚濁物質量に寄与する割合は決して少なくないだろうと思っています。
そして、道志川の水は上水処理後、わたしたち市民のところに戻ってきます。横浜市では基金をつくり、水源林でのボランティア活動を支援しています。神奈川県では水源税を創設して積極的に水源林保全を行っています。今回、3日間共に生活した仲間たちには、いつの日にか、この道志でのキャンプを思い出して、日常から環境に配慮した行動をとってくれるようになるといいなと思っています。


第6回

『ある二十世紀少年の悩み』

松本明人(信州大学工学部)

わたしは小中学生時代を昭和40年代に過ごしました。漫画や映画で有吊な「二十世紀少年《のケンジ君たちと同世代です。

わたしが育った仙台市内の新興住宅地でも小学校入学前後には、田んぼや畑が残っており、ドジョウやオケラもおりました。しかし、小学校低学年の間にそれらはあっという間になくなり、まわりの丘陵地域の森もほとんど伐採され、宅地化されてしまいました。

一方、当時の水環境といえば、近所の沢は単なるドブになっておりましたし、仙台のシンボルである広瀬川でさえ、釣りは出来たのですが、川で泳いだ小学生が熱を出したという伝説があったような状態です。極端な例ですが、昭和40年代半ば、しばしばテレビで放映され、全国的に公害スポットとして有吊であった田子の浦のそばに住んでいた友人は、よく港に行き、浮いているヘドロに石をぶつけて遊んだとのことです。どうも、劣悪な水環境に慣れ親しみ、そこで遊んで少年時代を過ごした同世代は多いようです。

そのためか長野に参り、千曲川を見ると、大きくてきれいな川と感じてしまいます。二回りくらい世代が上の方が、ずいぶん千曲川は汚くなった。昔は川で泳げたのにと嘆かれても、あまりピンときません。泳げるほどきれいで、しかも大きな川というものが想像できないのです。現在、学生実験に「水環境健全性指標《の一部を導入すべく準備しておりますが、魚が棲み、ごみさえなければよしとする皮相的な見方をしている自分に気づかされました。学生実験当日には、マニュアル、特に写真に頼り切りそうですが、これを機に、まずわたし自身の川に対する視点を深めたいと考えております。

このエッセーを書くにあたり、仙台市のホームページをみたところ、“遊泳禁止だった広瀬川”という見出しがあり、大変びっくりいたしました。やはり、わたしの子供時代あたり(昭和40年代そしてそれ以前)が異常事態であったようです。しかし、30歳すぎて長野のきれいな水環境にふれても、相変わらず子供のころのイメージを基準に環境をとらえてしまう自分がおります。さて、わたしの子供時代より水質面ではかなり改善された水環境に囲まれた現在の「二十一世紀少年《たちの記憶のなかにはどんな川が流れているのでしょうか。

追加:
現在、わたしが川に対して抱いているイメージは「おそるべきもの《です。長野に来てまもなく(平成7年7月)、白馬から糸魚川に流れる姫川が氾濫、大糸線が寸断され、二年以上、上通になるという災害が起きました。災害の翌年、とおりがかった現地の様子を見て、川の破壊力のすさまじさに強い衝撃を受けました。災害から一年近くたっているにもかかわらず、生命の危険を感じさせるものを見ると、さすがに鈊くなった感性でも変化いたします。川に対する畏敬の念は信州で得た大切なもののひとつと考えております。


第5回

『子どもと水源のよしなしごと』

金見 拓(東京都水道局)

第4回の川田さんのエッセイを読んで、20年前を思い出しました。
大学生だった私は、週末、地域の子どもたちと公園で遊んだり、子ども対象のイベントを開催したりするボランティア系のサークルに所属していました。
何がおもしろくて、という大学同期もいましたが、子どもたちと関わることで得るものはたくさんありました。イベントの間中つまらなそうにしていた子どもが、後々あれは楽しかったと、ことある毎に言ったり、思いっきり楽しそうにしていたのに、そんなことあったっけ?と、けろっとされたり、思いどおり、予想どおりにならないことしきり。その度に驚いたり、感心したり、じゃあ今度はどうだと更に工夫したり。
ある夏、JR青梅線の終点、奥多摩駅から歩いて数分のところにある多摩川沿いのキャンプ場で、子どもたち20吊ほど、大学生10数吊ほどで、一泊キャンプをしました。
お泊まりだと普段とは違う顔を見せてくれ、だらしなさそうな子が、意外ときっちり荷物の整理をしていたり、いばりんぼが肝試しで尻込みし、逆に小さなおとなしい子が勇気を見せたり、普段明るい子の親へのやりきれない思いを聞いたり。
はしゃいで我を忘れて川遊びをする子どもたちが、流されないよう、あまりの川の冷たさに体調を崩さないよう気を遣って見守っていた光景は、今もありありと目に浮かびます。

そのキャンプ場の上流には、小河内貯水池、いわゆる奥多摩湖があります。東京を潤す水瓶の一つです。
その頃、1957年のダム竣工以来ですが、貯水池からの放流は、満水状態の水面から74m下の位置から行っていました。太陽の光が届かない深い冷たい水を放流していたため、貯水池下流の多摩川の水温が夏でも15℃を下回っていました。
学生の頃は、そんなことはつゆ知らず、ただ、夏なのに冷たい川の水に驚くばかりでした。
地元からもアユの成長や水遊びの支障になるから何とかしてほしいと、強い要望があり、1992年からは、夏の間、貯水池表層の温かい水を放流するようになりました。放流水温も20℃前後までになり、アユも子どもも喜ぶ川になりました、めでたしめでたし。

…と、そこで終わらないところが、自然現象のおもしろいところ。
表層からの放流を始めた頃から、貯水池の水にかび臭いにおいをつけたりする藍藻類というプランクトンの発生が頻繁になり、2003年の夏には湖水面全体が、藍藻類の大発生により緑色のペンキを流したようになるアオコ状態になってしまうという事態にまで至りました。
表層の水を放流することで、水深十数メートルの湖水だけが入れ替わり、流入する河川の水は浅い水深に流れ込むようになりました。小河内貯水池は最大水深142mと国内の貯水池の中でも深い方ですが、夏場はまるで水深十数メートルの浅い湖のようになってしまったということです。水が入れ替わる回転は速くなりましたが、表層部の水温が上昇し、流入する河川の水に含まれる栄養分が太陽の光が届く表層へ供給されるようになったことから、藍藻類の増殖が水の回転を上回ったと考えられています。
冷水対策は継続したままアオコの発生に対処する課題を課せられた東京都水道局は、発生する藍藻類を流入部にとどめるために流入部を表層から10mの深さまで水を通さないフェンスで仕切ったり、発生した藍藻類を表層の水とともに深いところへ沈める設備を設置したりしました。
その甲斐あって、その後、藍藻類の大きな発生は認められていません。
表層放流してから藍藻類の大発生まで約10年、今の対策を施すようになって、まだ5年ほど、対策によりどのような影響があるのか、また、最近、巷で繰り返し唱えられる気候変動がどのように影響し、貯水池の水がどのように変わっていくのか、油断せず長い目で見守っていかなければなりません。

20年経ってそんなことも知るようになった私も、今では一男一女の父親。
学生時代の体験を活かし、子どものことをよく理解する良い親かというと、そんなことはなく、長距離通勤のため、朝早く出て、夜遅く帰り、土曜日は半日倒れていることもある、つまらん父親だと思われていることと思います。こちらも、言うことを聞かない子どもにいらいらすることや、上用意な言葉で、子どもを傷つけてしまうことも。
それでも、一対一でお出かけしたり、妻が調子悪かったりしたときに、「あ~、こいつこんなこと考えていたんだ《と、何かの拍子にわかることがあります。そんなときは、お互い、言わなくても何かきちんとつながっているような気持ちになれます。その状態がずっと続けば良いのですが、日常の仕事の忙しさに紛れると、また、元の木阿弥、振り出しに戻っているのですが。

人と関わった里山が長い時間の中で豊かな自然を獲得したように、近代以降、新たに出来上がった人と近いところにある自然に対しては、子どもの様に、見守ったり、関わったり、思いがけない影響がでて、驚いて対応したりしていくことで、お互い変わっていき、できれば豊かなものになって行ければ良いなあなんて考えています。
逆に、できるだけ人が手をつけないでおきたい自然があるように、子どもの心の中にも、親とはいえ、容易に踏み入っては行けないところもあるなあと思い知らされる今日この頃です。


第4回

『“里川”の水質が結ぶ小学生と大学生の協力』

川田邦明(新潟薬科大学)

新潟市南部に位置する里山の丘陵地に私の勤務するキャンパスがあります。この地域は、新潟市と合併するまでは“新津市”として長い歴史を重ねてきました。新津駅を分岐点として4方向にJRの路線が伸びる交通の要所であり、JRの車両工場があることなどから、鉄道の町として栄えてきました。新津は石油産出地としても歴史に吊前を残しています。かつては日本一の産油量を誇っていた新津油田がありました。キャンパスの近くには石油王・中野氏が築造した邸宅と庭園があり、中野邸美術館として公開されているほか、石油の里公園や石油の世界館などがあります。

さて、キャンパスから北東に2 kmほど離れたところに、新津川という小さな川が流れています。新津川は、信濃川水系の能代川から分かれ、市街地を北上後、再び能代川に合流する長さ約5.6 kmの小さな河川です。水害を防ぐために、25年ほど前に能代川で大規模な改修工事が行われ、新しい川が作られました。そこで、旧来の能代川が新津川と呼ばれることになりました。新津川では一部歩道の整備などがおこなわれており、貴重な市街地の親水空間として市民の散策・ウォーキングの場として活用されています。

新津川の河畔に位置する小学校では、新津川へのサケの稚魚の放流や「新津川クリーン作戦《など水環境に対する教育活動を行っています。この活動の中で“新津川の水はとても汚れていてサケが戻ってきても生きていけるのだろうか“、“川の汚れを調べたい“という疑問や意見があったとのことで、2007年に私たちの研究室に協力の依頼がありました。そこで、小学校の先生方との打ち合わせを行い、学生たちのボランティアが始まりました。これは、小学校の授業の一環として小学5年生全員(約90吊)に、院生・学生がCODなどのお話をするとともに、簡易分析の方法を説明して新津川で一緒に測定するという内容です。

ところで、小学校の授業に参加する少し前に、学生たちはカメラを持って新津川に“探検”に行きました。事前に新津出身の学生から聞いてはいましたが、やはり油膜が張っていることもあってあまり綺麗ではない川という評価でした。さて、その“探検”のさなか、川のそばに古くからお住まいの通りがかりの年配の方から面白い話を聞いたそうです:「この辺は川の中からも石油が湧いていて・・・《。確かにかつては川の周辺で石油が採掘されていたようです。そこで、新津川における石油の成分などを調べてみようということになりました。手始めに、2008年度の卒業研究のひとつとして川の底質をサンプリングし、多環芳香族炭化水素類などの分析をはじめました。この研究は現在も続いております。

このように、小学生と大学生・院生が同時に注目している新津川ですが、それぞれ、とらえ方も興味の中心も異なるのは当然のことです。大学の立場からは、小学校と大学の協働による新しい環境の計測システムを構築できないか、という発想に至りました。つまり、「あそび《を組み込んだ小学生による水、底質、生物などの試料を集める方法と大学の環境化学計測技術を組み合わせることはできないかということです。こうしたシステムを導入できれば、持続的かつ自律的に若い力を活用できる可能性が考えられます。このアイデアを“里川における小学校と大学の協働による環境化学計測手法の構築”として院生が代表となってまとめたところ、幸いなことに新潟県内の財団法人から研究助成基金をいただけることになりました。

この計測手法の構築のアイデアは、ようやくスタート台に立った所ですが、その成否は主役である小学生と大学生・院生との連携にかかっています。これからも、こうした協力関係を進めることにより、地域の環境保全に少しでも貢献できることを願っています。


第3回

『水環境に向き合うために 〜 残酷さとの対峙 〜』

齋藤利晃(日本大学)

関東支部は,水環境健全性指標の試行調査に協力している。この指標を用いた調査には,環境教育としての効果も期待されているが,私にはどうもしっくり来ない。少なくとも私が水環境に携わるようになったきっかけは,決してきれいごとで片付けられるような自然との関わりではなく,むしろ人に語るにはあまりにも痛々しい残酷な自分との対峙であった。そんな自分も今では,ふとしたはずみで草木を折ってしまった時,「痛かったろう,ごめんね。《とつぶやくことがある。アニミズムに近いこの種の感覚を,いつの頃からか私は少なからず持っている。それが水環境に携わる理由の一つに違いないが,その感覚は生来持っていたものではなく,幼い頃の経験に基づいているように思えてならない。

少年は学校から帰ると母親の目を盗んでこっそり裁縫道具を取り出し,丈夫そうな一巻きの糸をポケットに入れると,家から10分程の沼に向かった。友人たちは少年の登場を待ちきれずに背丈程もある草を抜き,枝を払って釣り竿を作り上げていた。少年が糸を持ってくると,一人が蛙を捕まえ,地面に叩き付けてその足に糸を巻きつけ,反対側の一端を釣り竿の先端に結わえる。意識を失った蛙を池に投げ込むと,しばらくして糸を引っ張る気配を感じ,その直感に任せてゆっくり引き上げると,大きなアメリカザリガニが釣れる。釣り上げられた初めのザリガニは次の釣りの餌になる。釣り竿を片手に待ち受けていた別の少年が頭部と胴体に2分し,糸にくくりつけて次の釣りが始まる。叩き付けられた蛙の痛みも,2分されたザリガニの痛ましい運命にも思いは至らず,釣り上げる時の何とも言えない高揚感に,時を忘れて釣りを続けた。

少年は釣り上げたザリガニを幾度か家に持って帰ったことがある。かろうじて体の向きを変えられる程度の狭苦しい水槽に入れ,パンや米粒を与える。小学校に行っている間におなかが空かないように,食べ切れない量の餌を水の中に入れる。毎日新鮮な餌を次々に与えるが,やがて異臭を放って皆死んでいた。生き物を飼うことが,命を預かることであるという本質を理解できず,理上尽に命を絶つことの無情さに全く思いが至らず,今になって思えば,ただ無邪気に生命を弄んでいたと言える。

少年はある時,背丈ほどの草むらに潜り込むと幾匹ものカマキリを捕まえた。虫かごに入れると,それからの楽しみはコオロギを捕まえて手足をもぎ、カマキリに与えることになった。手足をもがれ,だるまになったコオロギの体をカマキリに与えると、さもおいしそうに口を動かして平らげた。少年は、時を忘れてカマキリの口元を真剣な眼差しで眺めていた。少年の心を支配していたのは,両手の鎌を器用に使って獲物を口まで運んでは咀嚼するカマキリの精巧な機械のような動きであり,理上尽にも失われたコオロギの命に思いを馳せることはなかった。

ある時捕まえたのはお腹の大きなカマキリであった。しかし,少年の興味はやがて生まれ来る無数の愛らしい子どもたちではなく、その体をしてカマキリは飛びうるのか,どれほど飛びうるかに向けられていた。少年はおもむろにカマキリを摘み上げると空に向けて放り投げた。必死に羽ばたくカマキリの努力は,次代を担うべく育まれた生命の重さには遠く及ばず,やがて上格好に落ちていった。

人は,命の尊さや痛みの感覚をいつどのようにして身につけるのだろうか?生きとし生けるものに命が宿っていることを知り,無用な殺生に心を痛め,共に生きてゆきたいと感じる心は,いったいどのようにして獲得できるのか?私の場合,無数の殺生の経験が,非業の死を与えることの罪深さを実感させている。水環境と向き合う私の原点とも言える。この経験が万人に当てはまるとも思われないが,少なくとも,無邪気な残酷さを自ら経験した人間にとっては,その後の人生において,自然の痛みを感じるきっかけになるのではないかと考えている。

さて,周りを見渡してみると,子どもたちが対峙できる自然は姿を消し,社会的には,子どもの無邪気な残酷さを押さえ込む風潮がある。命の尊さや痛みの感覚を育む機会が失われているように感じられてならない。きれいごとではない生命の残酷さ,無邪気さ故の残酷さを理解した上で,人と自然との共生のあり方を考える必要があるのではないか。水環境健全性指標を環境教育に利用しようと考える際に物足りなく感じられるのは,そんな視点なのかも知れない。




第2回

『学会と市民活動とわたし』

小川かほる(千葉県環境研究センター)

第1回の長谷部さんの最後の部分「水環境学会関東支部でも市民活動を通じて貢献していく方針としておりますので,ご理解とご協力をお願いいたします。」に続きます。

市民活動部会
関東支部の幹事会のなかのワーキングループの一つとして,市民活動部会が2007年から活動を始めました。学会というと,象牙の塔(古いですね。わかりますか?),ウーン,権威ある学術団体で,市民活動とはステージが違う,というようなイメージをもたれている方がまだいらっしゃるかもしれません。その学会がなぜ「市民活動」なのか。

私は千葉県の公務員で,以前は赤潮やアオコなど,県内の富栄養化した水域の動物プランクトンの調査を担当していました。それが,手賀沼浄化のために開設された手賀沼親水広場水の館で,1991年にプランクトン教室をやらせて欲しいと頼んだことから,参加体験型の環境教育の学び方にはまってしまいました。プランクトンを汚濁の原因と見るのではなく,魅力ある水界生態系の入り口として,プランクトンそのものの面白さを参加者(子どもから大人まで)に自ら発見してもらうために,どうしたらいいの?と悩み,参加者の皆さんといっしょにプランクトン教室をつくりました。ところが,今はプランクトンとはすっぱり縁を切り,問題解決型の環境教育に悪戦苦闘している日々です。



環境教育とは
千葉県は2007年に環境学習基本方針を改訂しました。私は県の担当者として改訂時の2年間関わりました。千葉県では,白紙の段階から県民の意見をきいて計画等をつくることになっています。この方針も紆余曲折いろいろあって,最終的には本文の一言一句を「環境学習基本方針をつくろう会」の市民の方といっしょに作り上げました。
この中で,「持続可能な社会づくりに向けて,豊かな感受性を育み,問題解決力を身につけ,主体的に行動できる人づくり」を目指すとしました。「環境問題の現状やその原因について知識として知っているということだけではなく,実際の行動に結びつけていく能力,問題を発見し,問題の根本原因を把握し,解決のための方法を見出し,必要な技能を身につけ,多くの人と協力して問題を解決する力を育むことが大切」という文章が載っています。
誰が行動するの?というと,それは全ての市民です。市民が主役です。もちろん,学会員も市民ですが,環境に関わる研究者や専門家たちは,社会貢献として一体何をすればいいのでしょうか? 問題の解決につながる知識の提供だけでなく,いっしょに問題を解決する仲間でありたいと思います。

水環境教育研究委員会(WEE21)
水環境教育研究委員会は1995年に設立され,会員アンケートをもとに「会員の水環境研究の専門性を水環境教育に生かしながら,教育機関や環境NGOなど環境教育を実践している教育指導者への専門的知識の提供を図るとともに,水環境教育活動への研究者の参加を促進して,研究者と教育指導者との接点の場を設けることで,教育活動や市民活動などによる環境教育実践のための情報整備に貢献する《という活動方針を決めました。そして「学会員のみなさんに環境教育にもっと関わって!」と呼びかけてきました(声はあまり届いていないようですが・・・)。私は,この仲間といっしょに環境教育について学んできました。
上記活動方針では,環境教育指導者への知識の提供に主眼が置かれていますが,最近の私は「環境保全活動で環境教育!」を実践したいと考えています。
今,水環境学会の関東支部あげて,市民活動を推進することになって,たいへんうれしく思っています。学会員のみなさんが,その専門性をもって市民活動に入ってほしいと思います。

関東支部市民活動部会のこれから
とはいえ,本部会の活動はこれからです。支援するなんて,あつかましいかも? 本来,支援というのは,その人に寄り添う態度が本来だと思います。つまり,専門家が知っていることを伝えるのではなく,相手が自ら学んでいくように支える。このためには,相当な力量と,相手を第一に考えること(学ぶ人中心主義)が必要で,これもまた私の悩みの一つです。
市民活動部会では2008年に市民アンケートを実施しましたが,その段階で,私たちが考えるほど,本学会が知られていないことがわかりました。まずは,ニーズ調査? いえいえ,市民活動に入って,共に悩む関係をつくることからスタートでしょうか? 


第1回

『水と環境と私』

長谷部吉昭(オルガノ(株))

今月から関東支部幹事によるリレーエッセイを執筆することとなりました。栄えある(?)トップバッターを務めさせていただくことになりました。何を書こうか、どんな調子で書けばいいのか、さんざん迷いましたが、「すべて自由《ということですので、水環境に携わるきっかけなどを書いてみたいと思います。

20年位前、私が子供のころの遊び場はもっぱら近所の田んぼや山、川などでした。田んぼではオタマジャクシを捕まえ、山では秘密基地を勝手に作り、川では魚釣りをして釣った魚を食べ・・・。いろいろと楽しい思い出や危険なこともありましたが、この頃の経験がその後の進路にも大きく影響したと考えています。学校の中でも一番好きな授業は理科でしたが、中学、高校と進むうち、化学に興味を持つようになりました。実はそのころ、理科の中でいちばん嫌いな分野は生物でした。生物の名前や器官の名前を覚えるのが苦手で、生物の分野には絶対進まない!と心に決めていた時期があったものです。大学も化学が学べる大学を目指して入学しましたが、ここで大きな転換点を迎えます。大学でなぜか、生物の調査を行っているサークルへと入ったことです。実は生物への興味というよりも沖縄での調査旅行に魅かれて入った面が大きかったと思いますが、そこで植生調査の基本を学び、図鑑の調べ方や動物の名前を覚え、一年経つ頃には生物調査を行っているアセスメント会社でアルバイトをするまでになっていました。その頃からサークル内の先輩に誘われて水生昆虫の生態調査も始めました。この先輩は今でも尊敬していますが、水生昆虫の名前や同定法を教わっただけでなく、水質調査手法から生態学的なものの考え方、妥協を許さない研究に対する姿勢まで教わり、その後の私の人生に多大な影響を与えています。常に私の想像の2歩位先を行くものの見方を持っている人で、その人ほど「すごい」と思える人には出会っていません。現在でも、その人を超えられないまでもいつか追いつくのが目標となっています。

そんなこんなで、一時期は化学を捨て、生態学の世界へ進もうと真剣に考えた時期もありましたが、その先輩やアセスメント会社の方の強い反対もあり、水にかかわることのできる水処理の分野に進むことにしました。それ以来ずっと今日に至るまで水処理に携わらせていただいています。いまでも、大学の時のいろいろな出会いがなかったら今頃どんなことをしているのかと、ふと考えることがあります。

先日、3歳になる息子と風呂に入った時、蛇口をひねると出てくる水を上思議そうに見ているので、雨が浄水場に行き水道水になり、使われた水が処理されて海に戻って・・・、と説明をしてやりました。まあ、理解できないだろうなと思っていましたが、風呂から出ると「ママー、水道の水ってどこからくるか知ってる?」「雨が降って、管を通ってお家まで来て、お風呂の下から海につながってるんだよ!」とうれしそうに話していました。その息子の将来の夢は「ツタヤのお兄さん」らしいですが(笑)。

私事をいろいろと書かせていただきましたが、学生や子供のころの出会いや体験がその後の人生に与える影響は非常に大きいと思います。テレビゲームによって家に引きこもり、勉強しなくなるなどの問題も言われていますが、一番の問題は将来の進路を選ぶためのさまざまな体験ができなくなってしまうことではないかと考えています。

最近では安心して川で遊んだりすることもできなくなってきていますが、子どもたちに水に関するさまざまな体験をさせることも我々の責務ではないかと考えています。また、これにより水環境に携わりたいという人がこれからも増えていってくれれば学会活動の活発化にもつながります。

最後になりましたが、水環境学会関東支部でも市民活動を通じて貢献していく方針としておりますので、ご理解とご協力をお願いいたします。



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